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1900年ぶりに作られた国へ⑨

翌朝起きてから向かうはかの有名なヘルツェルの墓である。

彼がいなかったなら、今日のイスラエルはおそらくない。
このヘルツェルの墓の近くには、いろんなイスラエルの英雄たちの墓が近くにある。イスラエル建国の志士たちや、護国の勇者たちの魂がここにあるわけだ。実にのどかで静謐な環境であったが、どことない緊張感に包まれた不思議な空間だった。
歴史を変えるのは時間ではなく人なのだと、あらためて気づかされる。

このあとはエルサレムを徘徊していた。食事をとったり土産を買ったり、かなり自由に過ごしながら、人気の食事処に行ってみた。

ベジタリアン向けの食事処だ。肉などはなく、すべて野菜でメニューが構成されている。しかも自分が食いたいものを食いたいだけとれる優しいつくりだ。

ビーガン向けのレストラン まあまあうまい

ほかにも、旧市街付近にあるアラブ人居住区の食事処はこんな感じだった。

アラブ人向けのレストラン 食べた後ホテルで下痢をした

非常にうまい。左上の赤いソースが衝撃的に辛かったことと、玉ねぎの表面が丸焦げだったことは今でも忘れない。

活気のある街並み

こんな飯を食いながら街に活気があるなあと思いながらふらふらとしていると、町中に「ブワーン」と謎のサウンドがした。
いったいなんだ、と思っていると、それが「シャバット」という安息日の知らせだった。
次から次へと店が閉まり始める。まだ真昼間なのに、町は閑散とし始めた。

一気に閑散とする

店が閉まれば私がやることもない。ひとまず夕食を買って宿に戻り、のんび
りとテレビを見ていた。
当時、イスラエルの第一回やり直し総選挙が行われているところで、ネタニヤフ首相などがいろいろ演説をしていたのを見ていた。
政治家やメディア関係者にとっては、あまりシャバットがあろうがなかろうが関係ないのだろう。

そういえば、超正統派のユダヤ教徒(一言でいうと、ユダヤ教ガチ勢である)なんかはテレビやネットといった、電気を使った生活すら否定して、時折シャバット中に働いている人に対するデモなんかも行うそうだ。

もとより電気なんてなく、テレビもネットも何もなかったと思えば、メディアの人間もシャバットの日に休むことができたのだろう。
しかし時代が進歩し、地球規模で物事を考えねばならなくなった今の時代にあっては、そうは問屋が卸さないというのが実態なのだと思う。

伝統と進みゆく世界と、それが紡ぐ歴史と。
このバランスをちゃんと取らないと、国を支え、貫くものを失ってしまうか、時代の変化についていけないまま淘汰されていく、つまりは国を喪うのだろうと思う。
そして国を失って時間がたてば、ひとはいつしか国があったことすら、世界の記憶から失われていくのだろう。

では私たち日本人は、伝統を紡げているのか。はたまた時代の変化に合わせた進化をしているのか。自らに問うと、およそ首を縦に振れそうにないことに危機感ばかりが募る。

そうこうしているうちに、うっすらとエルサレムの空は薄闇に包まれ始め、そしていつの間にか自分は夢の世界にいざなわれていた。次に目を覚ました時には、すでに外は朝になっていた。

シャバットは日曜の夕方に終わるので、まだ公共交通機関は動いていない。日曜の昼とかに飛行機を取っていると、タクシーなどで空港に向かうことになるので、十二分に注意されたい(事実、私はタクシーで向かうことになった)。
タクシーの運転手も英語を解することはなかったので、無言の時間が続く。写真をとってみたが、道も閑散としている。

タクシーがメルセデスベンツ

そうして40分。エルサレム中心街から空港に到着。こうして荷物検査を終えて、私は再びエジプトを経由して日本に帰ってきた。

いやはや、はじめての中東ということで謎めいた緊張感を抱いていたがいざ行ってみるとそんな恐怖はどこへやら。日々ミサイルでも飛んでいるのかと思ったが、メディアの情報がいかに偏っているのかがよくわかる。
私自身もメディアの人間ではあるから反省である。

私たちが、国があることを当然だと思い、そしてそれに何の感謝もしていない現状に、一石を投じる旅行であったことは間違いない。
国を喪ったことのない日本人だからこそ、国を喪い続けたユダヤ人からいま学ぶことは多い。ぜひ、みなさんも。

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