書いてあることだけ見ていても足をすくわれるよねって話
コンテンツには大体の場合、何かしらのメッセージがある。文章にせよポスターにせよラジオにせよテレビ番組にせよ、なんでも「伝えたいこと」がある。
そういうメッセージは、当然ではあるが言葉などによって表現され、そこに顕在化する。あれこれ言葉を紡いだり、いろんな色を組み合わせて絵を描いたりして、なんとかその対象のことをを伝えようとする。だから、当然何が書かれているかをしかと読み取ることは、筆者のメッセージを読み取る上では重要だ。
半面、日本語には「行間を読む」という言葉もある。書かれていることだけではなく、言外のメッセージを自ら考えて感じ取ったりすることである。
世の中では「おまえはこんなことを以前言ったろう」とか「こう書いただろう」ということを根拠にしてあれこれ議論をする。ただ、なかには性格が悪い人がいるもので、あえて大事なことを言わなかったり、あえて書くべき事を書かなかったりする人もいる。だから、何が書かれているかも大事だが、何が書かれていないかも大事だと、ある先生から言われ、実に腑に落ちた。
「書かれていないこと」を想像できているかどうかを判断するのに、食品のパッケージを見るのは有用だ。食品の世界はウソを書くと偽装になってしまうので、このあたりの言い回しが極めてシビアなのである。
このあいだ、パンのパッケージにこの間「国産小麦を使用」と書いてあった。
一見すれば「おお、国産の小麦を使っているのか」と読んでしまいがちではあるのだが、よく考えると国産小麦を「使っている」と要っているだけであり、海外の小麦を「使っていない」ということではない。
こういう「書かれていないけど本当かもしれない」ということが食品のパッケージではよくある。
他にも、電車の駅なんかにもバラバラと貼ってある沢山のポスターも、少し想像を巡らせると妙な結論に陥ってしまうものがある。
あるポスターに「ホームで起こる人身傷害事故のうち、約50%は酔ったお客さま!」というものが貼ってあった。なるほど酒を飲むと千鳥足になってしまって人身事故になりやすいのか、と感じてしまうわけだが、泥酔者によるホーム転落事故に占める割合が約50%なのであれば、しらふの人の事故率も約50%である、ということになってしまう。
ここまで考えると、実は酒に酔っているかどうかは、ホームから落ちて人身事故が起きるかどうかには関係ない、という結論になってしまう。ポスターを作った側の人からすればそんなメッセージが伝わるというのは本意ではないだろうが、言葉をうがって見る癖がついている人にとっては、まるで違うメッセージになってしまう。
言葉に向き合う姿勢として、騙されないようにするためには「行間を読む」「何が書かれていないのかを考える」ことは極めて重要だ。もちろんそれは、書いてあることをちゃんと解読できたうえでの話だ。
言葉に対する廉直は確かに重要ではあるけれども、だからこそ書かれていないことに対する忖度も、また失ってはならないのである。