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【育児】娘、すげー適当に喋り出す

私たちは物心ついたときから何かをしゃべっているものだ。言葉の発達が少し遅かったり、失語症になったりした経験がなければ、本当の意味で「しゃべれない」という感覚を知ることはできない。それだけに、言葉は知らず知らずのうちに獲得されていくものだし、私たちの日々の生活の傍らには必ず言葉がある。

どのように言語を獲得するのかをみるには、言語を獲得していない子供の様子を日々丹念に眺め続ける必要がある。幸いにも娘が生まれた私であるから、言語獲得の過程を今まさに眺めている。

言葉の数を増やすために必要なのは真似事である。こちらが「ニンジン」と言ってみれば「にんにん」と娘は言ったりしている。うまく言えないこともあるがこちらは「そー!」といってほめてみると本人もいい気になってしゃべっている。

そんな調子で真似事をしていた娘だが、このところ自発的な発話が異常に増えている。最近は「いち(1)」とか「あんぱんまん」とか「どうぞ」とか「なあに」なと、割と明確な単語を口にしていて、娘の意思表示がかなりはっきりしてきた。
歌も大好きらしく、「きらきら星」や「かえるのうた」などを歌うときもあれば、踊りたいときには歌うようにせがまれる。まあ、とにもかくにもすげえしゃべるのである。

しゃべりだした子供はとめどなく言葉があふれるようで、保育園に行ったときに見える子ども同士のコミュニケーションもなかなか面白い。同年代のお友達が絵本を見せながら「あーうぱえはしふはっはえひ」などと言われると娘も「えーふふううお」などと応じている。大人になってしまった我々にはもう理解できないものではあるが、子供同士の中では何かが通じ合っているようなそぶりである。互いに共通の言語体系を有していないのに、それとなくコミュニケーションが取れてしまっている(?)から実に不思議なものだ。

こんな調子でいつの間にかいっちょ前にしゃべる日が来るのかはにわかには信じがたいが、誰もがこういう日々を経て普通にしゃべりだしているわけで、言葉の獲得というのは実に不可思議な過程でもある。
そして、そのうち親ともしゃべらなくなる反抗期が来るのか――と思うと、親としては涙腺がゆるゆるになってしまう。娘であればそのうち父親を毛嫌いする日もやってくるだろう。わけのわからない宇宙語を笑顔で話してくれるのは、今まさに私に訪れているこの一瞬だけなのである。

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