【Stillness and motion】 @Sway 2024.6.21.fri Open/19:30 Start/20:00 Stillness and motion 静を基調とした美しく叙景的な音楽を具現化するセッションイベントです。 静謐なジャズギターのライブで、ホストダンサーが踊ります。また、静寂をテーマに、古今東西のジャズをこよなく愛するセレクターが音楽をセレクト。静と動の対比をお楽しみください(身体表現者の方のセッションへのご参加もお待ちしております)。
ある実業家がいた。その実業家は嘘の神に愛されたような嘘つきの天才で、ありとあらゆる嘘を巧みについて一代で財を成した。ただあまりにも自分が嘘をつきすぎたために、遂には周りの人間が言っていることまでもが全て嘘に聞こえてしまうようになり、極度の人嫌いになった。 いま、彼が信頼できるのは犬たちだけだった。彼は都会の一等地に大きな庭付きの豪邸を建て、そこで犬を三十匹飼っていた。彼は遺産の全てを犬たちに相続するつもりであるほど犬たちを溺愛していた。彼曰く「人は嘘をつくが、犬は嘘をつ
愛する日本の文化。季節が繊細に移り変わっていくなかで暮らしてきた人々の感性や美意識。それらが段々と失われていっているような気がして、どことなく淋しい。 秋の夜長に台所で緑茶を淹れながらふと考えていると、自分は幼い頃からそういったものを気に入り、愛してきたと気付く。豊かな自然、虫などの動物や草木たち、古典文学、着物、日本料理や日本酒など。 中でも私は古典文学を愛してやまない。今の時代の作家の方が書かれる小説も好きは好きだが、明治大正時代の文豪たちの情景を彷彿とさせる文
#haiku 春霙 去ってぼたりと 落つ椿 月日貝 夜に潜ってサルベージ 花見酒 雨でふやけた ハートの2 蝉が止み 君は街へと帰りけり スッカラカンの燕の巣 夜半くる前のサウダージ (自由律) #tanka ステンレスボウルの中でまどろんで 干潟ゆめみしあさりの望郷 愛しても 届かぬ君の横顔は 丑三つ時の夢現かな 三毛猫の 向こうの塀に 垂らした尾 自由というのは すこしさみしい
夏が終わりかけ、秋へ移ろう時分のことである。小雨が降った次の日にからっと晴れたので、近所の山へハイキングへ出かけようと思い立った。それほど高くない山なので、午前八時半ごろに登り始めて正午になるまでには頂上へ辿り着いた。そこから下山している道中にふと腰掛けて休みたくなり、手頃な石など何か座れるものはないかと山道を逸れて小径に入った。湿気った落ち葉を踏みしめながら行くと、少し開けて広場になっているところになぜかびろうど張りの古い椅子がみっつ三角の形に置いてある。 丁度良いと思
日本海のどこが好きかというと、荒々しいところだ。 私は堤防の上に仁王立ちして、岩場へぶつかる波の音を聴いた。それから息を深く吐いて、また吸い込み、潮の香りで身体じゅうを満たした。 時刻は夕方頃で、顔を上げれば青磁の肌のような薄暗い水色をした大きな空が広がっており、そこへ、ちぎった綿菓子のような灰色の雲が浮かんでいる。続いて目線を、水平線の方へと向かって下げていくと、丁度空と海の境目に夕陽の朱がわずかに滲んでいるのであった。 一羽の磯鳥が、テトラポットの上で息を潜めてい
薄月の明かりの下、猫の歩いているのを見ると、祖父を思い出す。彼は肺水腫で亡くなってしまった。一昨年のことだ。 晩年、祖父は祖母と二人きりで古くだだ広い平屋で暮らしていた。その平屋は昔ながらの木造で縁側があり、私はよくそこへ腰掛けて寛ぐ猫背の祖父を見た。ただそうしているのは暖かい時期だけのことで、肌寒くなっていくと居間から出なかった。極端に寒がりな人で、十月くらいになるともう「早くこたつを出してほしい」と祖母にせがんだ。 祖父は茫洋としていてまるで猫のような人だった。猫
山のふもとに小屋があり、そこに若い絵描きの青年が一人で住んでいました。青年は名前をススといいました。 ススは自然をこよなく愛し、とても美しい風景画を描くのですが、絵を描くこと以外に関しては何をやってもだめでした。特に掃除は大の苦手で小屋の中は散らかり放題、紙くずや絵の具だらけで足の踏み場もありません。 ある朝、窓際のベッドで寝ていたススは風の音で目を覚ましました。どうやら昨日はひと晩じゅう窓を開けたままで寝てしまったようでした。毛布や寝巻のそこかしこにどこからか飛んでき