通常
中学の三年間、サッカー部に所属していた。三年生の夏、最後の大会が終わって引退すると、それまで朝と放課後に毎日あった練習には参加しなくなった。僕はその頃の体が少しずつなまっていく感覚をよく覚えている。日常的に運動していた習慣がなくなり、意思に対する筋肉の反応が以前よりも鈍くなっていく気がした。言うまでもなく生活への支障は全くなかったものの、スポーツをする体ではなくなっていったのである。最初は自分を甘やかしているようで罪悪感すら覚えたものだが、それにも徐々に馴れていった。「今まで頑張り過ぎていただけで、これが普通なんだ」と自分を無意識に納得させていた。
僕は現在オーストラリアに住んでいる。日本を出発する前の一ヶ月間、僕は一人暮らしをしていたアパートを引き払って一時的に実家へと戻った。荷物を整理したり必要なものを色々と準備するためである。その間、僕は自分がどんどん生産的な人間ではなくなっていく感覚に囚われた。それまでは一週間のスケジュールを立てて手帳に書き込んだり、もっと長期的な目標を設定してタスクを徐々にこなしたりしていたのだけれど、実家でそれを継続するのは難しかった。買い物やら料理、車での送迎を頼まれるなど、自分の都合だけを考えて生活するわけにはいかなくなったからである。
そして、それはオーストラリアに引っ越してからより顕著になった。こちらの住宅事情では個人で一つの物件を借りるという慣習があまりなく、僕は基本的にシェアハウスやホステルなどで不特定多数の他人と共同生活を送らざるを得なかった。当初は何事も経験だと息巻いていたし、実際に色々と学ぶことも多かった。しかし一年と半年が経過した今、僕は本当に気が滅入っている。早朝や深夜に洗濯機を回されて叩き起こされたり、自分の所有物が消えたりするからである。家の中でも真には気が抜けない状況で、生産的な生活を送るのは容易ではない。朝起きてまずはコンタクトレンズを入れようと思っても、バスルームを延々と使われているのだから。
自分のタイミングで一日を進められないという状況を、僕は受け入れつつある。前述したように気が滅入ってはいるのだけど、その状況に馴れてしまっているのだ。そして、暇さえあればYouTubeやNetflixをダラダラと眺め続け、自堕落な生活に磨きをかけている。その結果として頭が悪くなったという気がする。もともと頭脳明晰ではないのだけれど、なんというか自分が無能であることを自覚している無能から、自覚すらない無能への道を歩んでいるような感覚だ。
ラッパーのNFがTwitterでこんなことを言っている。
You wanna know what’s sad about depression.... it becomes such a normal for you, feeling happiness feels foreign and almost makes me uncomfortable.
和訳:鬱の悲しいところはそれが通常の状態になるということだ。その結果、幸せを感じるのが奇妙になり、ほとんど居心地悪くさえなるんだ。
そんな訳で、僕はせめてもの抵抗としてここで駄文を綴って少しでも生産的になろうと足掻いている。この記事を本当は昨日のうちに書き上げてしまうつもりだったのは秘密である。