頑張るのやめてみた
クソyoutuberみたいなタイトルです。いぬです。
私今まで頑張りすぎていたらしいです。自覚はなく。
「無理しなくていいんだよ」
「頑張らなくていいんだよ」
って言葉をあんまり人に使いたくありません。無責任だと感じるからです。
頑張らないってことは、今ある何かを崩すってことで、頑張らなくなった分の負債は当人以外の誰も解決できないからです。
でも人に対して、頑張りすぎだよ〜〜って思うことはある。
めちゃくちゃある。
なんて声をかけるのが正解なんだろうね。もうわかんないよ。
んでまあ、私は何を頑張りすぎていたのでしょうか。
生きてるだけで苦しい(躁鬱だしアスペ)
+
家族間での問題が多い
+
学業(学生であった。休学中)
+
生活費のためにシフト入れまくったバイト
=頑張りすぎ
だったのでしょうか。普通の学生だったはずなのに。
私のキャパシティは、きっと人よりずっと少なかったんですね。
なんか生きにくいんだよ。苦しいんだよ。だから逃れるために腕切ったり薬たくさん飲んだりした。それでも苦しかった。どんどん苦しかった。
母親との喧嘩も増えた。学校にもいけなくなった。
そこでいろいろな人にかけられてた言葉
「頑張りすぎだよ。もう頑張らなくていいんだよ。休みな」
あ、私って、もう頑張らなくていいんだ。
私の中にあった頑張らなくちゃって気持ちは、無駄だったんだって。
希望でした。生きる道がようやく見えた気がしました。
でも、その時だけ。
一応専門学生のため専門的な技術・知識のための試験があったわけですが、頑張らないということはそれも受けないと言うこと。
一応良い企業から内定をいただいていたけれど、休むと言うことはその内定も蹴るということ。
気が軽くなったのは、言葉をかけてもらえたその一瞬だけで、試験日が近づくにつれ焦燥感と罪悪感に苛まれ、試験当日にはその時間をどう耐えたらいいかわからなくて、全身が痛く感じるくらい苦しかった。
だからこれを読んでいるあなた、今苦しいかもしれないあなたに言いたい。
やさしい言葉に惑わされないで。
もちろん私は、最終的に自分で休むと決定した訳でありその責任は自分以外にはない。
でも耳障りの良い
「頑張りすぎだよ」
「休んだっていいんだよ」
を言われた時こそ、その解放感に涙した後でいいから考えてほしい。
本当にいいの?って。
優しさは基本的に、毒ですよ。
閉鎖病棟の現場からは以上!
また逢いましょうね。