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私の躁エピソード

こんにちは、いぬです。
私は双極性障害と10年以上の付き合いとなり、また、躁の際の逸脱行為が顕著なタイプであるため、躁のときの笑えないエピソード (笑ってやってくれ)をいくつかご紹介してみようと思います。

①小学生時代は絶対にあの高校に行くと豪語
 新潟県民なので、新潟高校を目指していました。偏差値72。小学生時代から本ばかり読んで勉強好きを自覚していました。躁の時期になると
「私は絶対新潟高校に行くーー!!」と宣言していました。痛いやつ。

②悪化の一途を辿る中学生時代
 まだ新潟高校を目指していました。しかし中学一年生の頃に重めの鬱到来。目標を下げ、偏差値60代の高校を目指すことにしましたが、勉強へのモチベーションは完全に無くなっていました。そしてどんどんと学校にも通えなくなり、、、

 中学は2年生の頃から通っていませんでした。鬱の時期には布団から動けず、躁の時期には自傷行為が酷かったからです。
精神科で処方された向精神薬や睡眠薬、そして日常的なオーバードーズで今まで勉強して記憶したことがほとんどチャラに。
 15歳になった頃、アマゾンで網戸を20枚ほど注文しました。家中の網戸を交換しなくちゃ!!と思ったからです。2日ほどしてから躁が落ち着いて、慌てて注文キャンセルの手続きをしました。
あーもう思い出すだけで嫌ですねえ(._.)

③高校時代
 通信制の高校に進学しましたが、躁鬱は悪化するばかり。それでも働けと両親からの圧。いよいよ躁の勢いで通院もやめる。
家族間での人権獲得のため仕方なくアルバイトを始めたのですが、、、
躁鬱の方は一度は経験したのではないでしょうか。
「躁のときにシフトを入れ過ぎて鬱の時に結局行けなくなる現象〜〜〜」
これの繰り返しでした。運良く私は仕事はできる方で、嫌われることはなかったのですが、「体の弱い子」という認識をされていたと思います。

④専門学校時代
 一年生の頃。異性関係が一番乱れていました。性的逸脱が酷かった時期です。高校生の頃から依存していたお酒の影響もあり、飲んだ席で出会った人とそのままホテルへ〜  んで、ホテル代と飲み代で破滅しかけるという、、、 この頃から初対面の人と体の関係を持つことに抵抗がなかったため、酒代を奢ってもらうためにホテルへ誘うこともありました。やな女。
 二年生の頃。躁の勢いで自動車学校に申し込みました。この頃は学校生活とアルバイトの両立で忙しかったため、通えるわけがなかったのですが、謎の自信で入校を決意。その後鬱の時期に入りまして。3ヶ月ほど通えず。仮免許の有効期限が切れ、退校することとなりました。失ったお金、大体35万円。高校生の頃に貯めた貯金が底をつきかけました。

⑤就活期間
 ゴリゴリに躁!私は新潟県民なのですが、何故か愛知県の企業に就職。内定。やったー。
就活で大切なのって自分を売り込む力だと思うのですが、躁のときの謎の自信のおかげで一次面接、二次面接、最終面接もパス。就活に限っては、躁病でよかったーとか思っていました。
 でもでも、、、躁の後には鬱がくる、、、
結局学校にも通えなくなり、内定辞退。


人生の時系列でいろいろと述べてきましたが、
髪色がコロコロ変わる。急にショートカットにする。ピアス開けまくる。「いつ着るん?」って服を買う。
等々、、、
躁鬱あるあるだね〜〜って感じの私です。
一番後悔しているのは異性関係。付き合う人もコロコロ変わるし浮気しまくるしすぐホテル入るし。その時はなんとも思っていないというか、ただ生きている実感から逃げたいからそうなるのですが、いざ真剣になってくれる人と付き合ったとき。その人のことを傷つけてしまった。てかめちゃくちゃ怒られました。(当たり前)
だからできるだけ外で呑まないようにするとか工夫しています。
あの時怒ってくれてありがとう。大多数とセックスしなくたって幸せです。むしろ今の方が断然幸せ。
躁鬱の寛解はしないけれど、躁の逸脱行動を程よく制御してくれる人って必要だなと思います。その分鬱の沈みも多少マシになり。


いっぱい書いて疲れたから今日はこのへんで!
またね!


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