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『待つ』ということが人生の大半②
こんばんは。
いよいよ春らしい陽気がでてきて、ワクワクしますね。
では早速ですが、
今回は少しだけ私の深い『待つ』という行為をお話ししていこうと思います。
そうですね、振り返ると4歳ぐらいから私の『待つ』という行為が始まったんだなぁと思い返せます。その頃を思い出すと、いまの時代に生まれていなくてよかったな、と心底思ってしまいます。
ちなみに皆さんは、小さいころを思い出すとき、どのような記憶を初めに思い出しますか?友達や親、親戚など色々出てくると思いますが、どういったことを思い出すのでしょうか。
私は圧倒的に、親を『待っている』記憶がまず初めに思い浮かびます。といいますか、記憶の大半がこれを占めています。(あ、決して悲しいお話をするつもりで書く訳ではないので、読んでいる皆さんは、昔を思い出しながら気軽に読み進めてくださいませ)
いまを生きている子供たちは、携帯を持っていたり、パソコンがあったり、
まぁ携帯がなくても、親がきちんと子供の居場所を把握していることが当たり前なのかな、と感じます。
その一方で、私の幼い時代は、携帯がやっと出始めたぐらいで、持っていない子の方が多かったですし、その頃の親たちの会話は今と違います。
〇〇ちゃんの家にいるんだろうか、あの公園でまだ遊んでいるのか、迎えに行こう、など子供から聞いた話と今までの行動パターンを想像して居場所を把握していたような時代です。
そんな私の両親はとても忙しい人たちで、小学生の頃は頻繁に一人で留守番をしていました。たまに近所の人達が一緒にいてくれた記憶もあります。
隣に住んでいた若夫婦は、夜まで自分達の家に置いてくれたり、私がある日、自分の家のトースターを焦がして煙がでたため、泣いて窓から助けを求めていたら、窓からよじ登って助けてくれたこともありました。
(大事にならなくて本当によかったですよね・・)
ほかにも、向かいの家の老夫婦は、お昼ご飯を一緒に食べたり、そのまま泊まることも多々ありました。その時の会話でよくでたのが、「好きな子ができたら教えなよ!」と笑って言ってくれていました。
(これは、私が大人になった後もよく言われていまして、恋愛で困ったらいいなさいね!と恋愛の師匠みたいな人でした(笑))
そして夏休みなどの長期は、少し遠くに住んでいる祖母たちの家にいることが、この頃のルーティンとなっておりました。
このように、一緒にいてくれることは嬉しかったのですが、それと同時に寂しさは常にありました。周りといる時間は、親を待っている過程にすぎないですし、その時よく言葉にしていた事は、『パパ、ママ早く帰ってきて』『行かないで』この言葉の繰り返だったような気がします。
(この場面は鮮明に覚えているので、今思い返しても苦しくなりますね。)
ただ、その時代に救われたことは、今より近所付き合いがフランクで、お互いを疑うことない時代だったがゆえに、私は本当の一人ぼっちということは避けられたんだと思います。
まぁこんな感じで、私の第一歩の『待つ』という行為が始まり、癖のような耐性のようなものが自然と身についてしまったんだと思います。
この『待つ』に関しては、好きとは真逆でむしろない方が絶対に良いと思います。
ただ、いつ帰ってくるかわらかない人を待つという寂しさや、信じながら待った後の嬉しさなどを経験したことは、いまの私にとって大事な感情の一つになっています。結果として、無駄な『待つ』ではないですし、『待つ』行為はやっぱり色々な自分に出会わせてくれると思いました。
少し暗い話になりましたが、両親との関係は良好です!一緒に海釣りや家族LINEも頻繁にしますし、なにより私は両親が大好きです。
あくまで今回は、過去の自分を整理するために書かせていただきました。
では、今日はここまでで
そうそう、話は変わるのですが、
前回、カップラーメンの3分間は企業努力で3分に抑えられた的な話をしましたが全くの逆でした!
あえて3分(技術的に1分過ぎにできる)に設定し、待つ時間=美味しさの期待度upの相乗効果も込めての時間設定。私は企業側の戦略にまんまと乗せられていたのですが(勝手に)、改めて待つことは何かを+にしていく効果があるだなぁ、と知りました。
ちなみに知ったきっかけは、たまたま同じような投稿をしている方を見つけました。その瞬間、noteのコンセプトである【つくる つながる とどける】を初めて実感しました。面白いですね、ここは。
いつかその方がこの投稿をみて気づいてくれたら嬉しいなぁと思います。
(驚きすぎていいねと名前も忘れてしまいました・・)
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次回は、学生時代の2年半『待つ』という行為について話していければと思います。