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『待つ』ということが人生の大半
はじめまして。
ありきたりな挨拶から始めようと思います。
一瞬で目が惹くような言葉だったり、その一文だけでユーモアさが溢れるような文才はいまのところ持ち合わせていないので、ありふれた言葉でぽつり、ぽつりと話していこうと思います。
早速タイトルに、なんだか壮大でみんなが一度は考える「人生」という言葉を使っていますが、私はその人生の大半をまだ生きてはいません。
なので、ここで人生とは何か、人生はこういう方が幸せですよね、というお話はしません。
といいますか、たぶん一生できないと思います。
死ぬ瞬間まで必死に生きている気がしますし、
私の人生とは?
というお話しは、私の好きな人たちしか知らないか、残っている人たちが好き勝手に話してくれれば、それが私の人生の結果なんだと思います。
ところで、私は「待つ」という行為が好きです。
なんだ急に、やばいやつか?って思った方は、
それは私の語彙力がないゆえ、陳腐な言い回しがこの結果となりました。温かく見守ってくださいませ。
でも、本当なんです。
待つ間には、色んな感情がでてくると思うんです。
例えば、いま私の目の前にあるのがカップラーメン。3分待っています、これは3分間の決められた時間内で、
残っている少量の食器たちを洗うか、携帯をいじって好きなフォロワーさんをチェックするか、食べる前の準備ともいえる飲み物を追加するか、
など、待つ間にもたくさんの感情や行動が生まれますよね。
ちなみに私は、3分間の内2分間を麺の硬さで悩み(硬麺にするか柔麺か?)頭の中をぐるぐる回しながら、カップラーメンとPCに向き合う時間になりました。
まぁこれを一つの例というには、大げさすぎる気がしますが、こんな感じで私の日常には「待つ」という行為が溢れています。
いま一番待っていることはそう、 春 ですね、
住んでいる土地によって春の感じる時期は違いますが、私の周りにはそろそろ春がきてくれるような匂いを感じます。
(すみません、朝ニュースでもやっていたのでその影響も受けています)
去年の春を思い出しながら、今年の春を待つ。
今年は満開の時に見えれるかな~とか、
去年と同じスポットに一人でもいいし、友達とも別の日にいきたいなとか
これだけでワクワクしますし、待つ行為があるからその日になると
待ちに待ってましたよ!という気持ちになるんですよね。
春が好き✖待つ時間=好きの気持ちが成長していく
とはいっても、いまは時間をいかに無駄にせず、有効的に過ごせるかやSNSのチェックなどに追われ時間の余裕ってものがそもそもない傾向にありますよね。
でもやっぱり私にとってあの待つ時間は、唯一自分の感情と向き合っていて、バランスを調整している時間になるので『待つ』という行為は好きだといいたい。
あ、そうそう、
必死に麺の硬さを悩んでいたカップラーメンですが、素直に3分待って(まぁ正確には考えているうちに3分経ったが正しい)食べました。
いつも安定のおいしさを提供してくれるカップラーメンに感謝しつつ、この3分間という時間に企業の計り知れない努力があったんだろうな、と考えると即席ラーメンという言葉は軽くないか?と考え始め、なんだか重い食事になってしまいました。
よし、そろそろ今日はこの辺で。
この陳腐な文章みていると本当に自分が嫌になってくるのですが、とりあえず言葉がでる限りはそのまま進めてみようと思います・・
次回は、もう少し私の深い『待つ』時間を話していきますね