長い独り言…2021.5.21
自分の足で赴き自分の目で見ること…
自らの手で触れ感じ、回数を重ねるのも大切だが"回数を重ねる"という言葉に甘えず素早く対応し熟す力こそ人間力…経験や体験は回数でしかなくて、熟せてなんぼ。"考えれている"うちはまだまだまだまだ…
ただオトナの世界ではこのスペック(人間力)も発揮しすぎると毒でしかなくて、状況を判断し力を出しすぎず"経験"と"頭"を使って良い方向へ導けてやっと"必要とされる"らしい。
人は頭を使わなくても体験できてしまうので無駄に見すぎているんだろな…
全てにおいてその必要は無いけれど、経験に意味を持ったり人生への可否についてもっと豊かな目を向けたらいいし、そのことに気がつける人が増えれば社会の平熱は1度上がると思う。
経験や自己啓発なんかは道徳なので数重ねればついてくるし全く焦ってないけれど、毒を薬に変える修行が必要でジェダイになるには才能が無さすぎるからなぁ…と最近本屋でずっと立ち尽くすことが増えた。
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そういえば"生物はなぜ死ぬのか"という本に"人は死がある事で生きる意味を見出している"という言葉があって、なるほどなと思った。
そもそも"死"というは人間が生み出した言葉で、生物に自然死は無いらしい。
では何なのかというと食物連鎖による死。あと細胞の劣化による病死。その本によるとポックリでも血管に問題があることが大半だと教えてくれた。
細胞は50万回再生すると再生する力を失う。何故再生せざるを得なくなるのかというと蓄えられていた糖が細胞を食べてしまうからで、細胞再生に50万回力を注いだから…らしい。
人間も食べられているだ。
では死なない様にするには…みたいな話しになるのだが私が目を向けたのはそこではなくて、上記の文の通り私も"結局何か意味を見出している=存在価値をつけたい生き物"なんだということ。
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愛・情は人間だけの特別な感覚だから捨てる必要は無いと思うが、人生において過度な承認欲求や行動はあまり良くないことも理解している。要は嫌われる事に意識しすぎるから行動できない訳で、凄いなぁ…と思う人を見てもそもそも"嫌われる"という言葉を相手にしていない事に気がついた。(自身の感じる社会とのズレもこの部類だろう…)
慕われる人とは"嫌"という感覚すらも制御できる人で、人生で1番尊敬している祖父はそれができる人だった。そうなるまでの"形振り構わず"な部分も頭を使っていたからこそ…だろうけど。
美しい字を書くためには鉛筆を研ぐ必要があるけれど、字を書いて折れてしまっては意味がない。折れない為に力をコントロールしてこそ美なのだ。
…と夜な夜な考え正解のない問い達とひたすら向き合った1日。賢くありたい。