月と日を編む…4/17 長い独り言
5階に住み始めて早3年。
相変わらず雨が降っている事に気がつくのは遅い。4月17日も雨が降る"土曜日"だという事に街に出てから気がつく。
雨が降る前、雨雲を見て降る降らないの判断は難しいが大体は降らない…7割はね。
そういえば少し前にお互いの好きな物について話した時間があったなぁ…なんて思い出す。
読み継がれた古本の紙の香り、ちょっとざわつく商店街、音楽のこと、カップに注がれた珈琲、雨が降り始めに感じるコンクリートの熱と香り…
7割分かってもらえないのは、煙草と珈琲、軽食の香りが混ざった喫茶店の香り…
昔働いていたお店を思い出して、懐かしがる時期があった。もうどこも禁煙になってしまったから思い返すことは無いし、非喫煙者が言うのも何だけど、なかなかハイカラでよかったな…と、思っている。そんな話しをしたあの子は元気にしているだろうか…。
こう言う類の話しは"価値観の確認"だと思っている。"安心"にも近いかもしれないね。
心地よく流れる時間の中に似ている物が有れば嬉しいし、お互いが大切にする物が似ていれば"思いやり"がしやすいからだ。
何故だろう。人は何故価値観が似ている事に"安心"を覚えるのだろうか…
先日巷で流行りの俳優が出ている映画を観に行った時もそう思った。
同じ価値観の中にいたはずなのに、ズレが生まれて結局別々の道を進む、よくある展開。
自分もそうだし大体の人はそう。価値観が変わってしまったら、大事にする何かが変われば苦しくなってしまう。それは当たり前だし、間違ってはいない。
ただ、それって主観すぎやしないだろうか…
恋人に限らず友人との関係にも言えることだと思うけど、人は誰しも成長しながら生きていて変化があれば視点も変わる。
ズレはストレスだし、そのままにするのは良くないけれど"変わった事"に寄り添うこと、その事に気がつける人はこの世の中にどれぐらい居るのだろうか…
人は脇役であるのに主役だと勘違いしているんだよ…と言う言葉をかけてもらった。全くそうだと思う。この言葉を全てに適応させるとまた違う方向になってしまうから強く言うことはしないけれど、人生においてほんの少しの優しさとほんの少しの気遣いは忘れてはいけないよ…と自身に問いかけた日。親しき仲にも礼儀あり…だしもっと大切にしたい。
"安心の中でしか生きられないのは変だ"という気持ちは自分の歪んだ部分だし、それでいてもっとストレスなく生きる方法もあるのにと感じていて、総じて自分は"変わり者"だと達観している。
くるりの"薔薇の花"だな…
進む中に生まれる時間はまさにコレで、結局は"それぞれ"になるから向かう先も違うのだ。1人は楽だな…と言う気持ちと、それでいて誰かと語りたいと言う気持ちが混在している事に気がつき、自分の人間らしい部分に触れた夜…