あ、こんなところにエイゴ沼にはまった外資系ジョブホッパーが。④Prep編 勉学への玉砕
渡英初日に食べた冷凍ピザのまずさと神がかり的なポッキーのうまさを今でもたまに思い出す。
同じように、初めて現地の小学校に足を踏み入れた時のことを思い出すと今でも冷や汗をかく。
九九すらできないガキだったので当然アルファベットを満足に書くこともできなかった。
知っている単語は、ハロー、バイバイ、イエス、ノーのみ。
幸いにも父親の転勤先には日本人が多数住んでおり、既に一定のレベルで英語を話せる日本人の児童もそれなりに散見される環境だったので、
父親の同僚のご子息D君が通う小学校に転入し、彼におんぶにだっこで学校生活を送っていく算段を私は立てていた。
同じ学年だし、絶対に同じクラスに入れてもらえるじゃん。ラッキー。
そんな悪巧みは、両親に連れられて行った、教頭先生との入学前面談でまさかの横槍が入る。
「英語が一切話せないのね…それなら、一つ下の学年からスタートしてはどうかしら」
長いまつげから知的な碧眼がのぞく教頭先生が仰るには、私が本来転入するはずのGrade 3は丁度数学や理科などの勉学か本格化し始める学年のため、
英語という素地もないままに特攻すれば大やけどは免れないということだった。
「Grade 2から始めて、まずはイギリスの学校そのものに慣れればいいわ」
教頭先生は丁寧にマニキュアを塗った指でパンフレットをぱらぱらとめくり、最低学年から最高学年の生徒が左から右に整列しているページを見せてくれた。
中高一貫校ならぬ幼小一貫校であったため、最低の3歳児から始め、最高のGrade 6までの生徒が並んでいる。
3歳児からGrade 1の6歳児までは赤を基調としていてきちんとした仕立てながら、お砂場で泥んこになる様も想像できるあどけなさが残る制服を身に着けており、非常に愛らしい。
Grade 3以降はがらりと変わり、シックな黒を基調にしたスタイルになり、男子はネクタイ、女子は真っ赤なリボンを胸元に飾っているからか大変大人っぽく格好いい。
件のGrade 2はどうだったのか。
女子は、summer dressと呼ばれる、赤ともピンクともつかぬストライプが無機質に整列したワンピースを身に着けていた。さしずめ、ディズニー映画「メアリーポピンズ」に登場するバートの衣装を女性向けにしたもの、といったところだろうか。
うンわ、だっさ。
D君に頼れなくなることよりも、まず制服に私の美的センスが拒否反応を起こした。
何が更に不味かったって、その制服を着用していたのがD君の妹であったことである。日本の学年でいうと、小学一年生である。
実質的な落第の重みが急にずしんと心にのしかかった。アホと思われるかもしれないが、実際そうだったんだから仕方ない。
制服がダサいうえに、同学年のものと同じ土俵に立てないなんて嫌だ。
日本でも自覚のない落ちこぼれだった私は、ダサさと気恥ずかしさを理由に教頭先生の優しい申し出を断り、勉学の道へ果敢に特攻することを選んだのである。くぅ、この漢らしさ、痺れるぜ。
ところで、ここで私が通うことになった学校の概要を説明しておきたい。
Preparatory School通称Prepと呼ばれる種類の私立学校であり、
主にpublic schoolと呼ばれる歴史ある名門校やgrammar schoolと呼ばれる上流階級御用達の超名門に進学させるべく、
保護者が子供を文字通り学費の力のみで突っ込む学び舎である。
早い話、当時の私のような自分の名前が書けない者でもカネさえあれば入学を許可される、とんでもねえ自称進学校群をPrepという。
幼小一貫校という響きからも、なんとか「日本でいう、慶応、といったところだろうか」等とドヤ顔で書きたかったところだが、そんな礼を失する真似はできない。
しかし、腐っても進学校である。
勉学が7-8歳児時点でそれ相応に本格化するという忠告は伊達ではなかった。
D君と同じクラスに入れてもらったうえ、
「日本人なんて元々いたんだから、もう一人増えるくらい何も変わんないわ!」
と、肝っ玉母ちゃんのような精神で私のお世話係に立候補してくれた担任のY先生に庇護され、
私はこの上なく恵まれた環境にいたのは間違いない。
英語の授業中は、個人的に簡単な単語の書き取りを課題として与えてくださり、隙間時間に細々とフィードバックをくれ、身振り手振りで褒めてくれた。
問題は、英語以外の科目だった。
理科、歴史、技術など、日本で触れたこともなかった科目に関しては最早諦めの境地で挑んでいたため、まったくついていけなかったとして然程ショックではない。
じゃあ、何がやばいって、算数がやばい。全世界共通言語といわれているはずの算数がやばい。日本にいたころからやばかったけど、もっとやばい。
みんながお家やテレビのイラストの隅っこにちっちゃい四角を描いているのがわからない(直角についての授業)
時計みたいな丸いものを切りまくって、「こぉたぁ」とか叫んでるのもわからない(分数についての授業)
久しぶりに数字が出てきたと思ったら、その上に横線をピッと引いて、かっこみたいなものを付け足して、変な計算しだすのに至っては奇怪(割り算の筆算についての授業)
ほとんどすうじも出てこないさんすうなのに、何故D君は容易く100点満点をとるのか。
少なくともこれ、日本の小学二年生が履修する範囲とは結構違いますよね?
あと、おはじきとかブロックの入った「さんすうセット」はどこ?
なぜおはじきの代わりに、電話機のような文字盤のついたロボットが教室を徘徊している様を見せられているのか。
2000年代初頭においてやたらハイテクなロボットまで出てきたが、これが「時計回り」や「直角に右に曲がる」などの簡単な指示に従って動くロボットだったのを知ったのも随分後のことである。
あまりのショックに、私はやっと少しは真面目に勉強する気になり、自ら習い事として公文式教室に行きたいと母親に申告した。
というのも半分は方便で、更に日本人が多そうな環境に行きたかった。
ロンドンにある日本人学校に通える土曜なんて、毎週待ってられない。
あと、日本語を少しでも使える環境なら、苦手な算数もなんとかなるはず。九九はできなくともいけるはず。公文なんてまずは簡単な足し算引き算できればやっていけるし。
そんな甘っちょろいこと考えていたら、初日のレベル分けテストでしっかりと玉砕した。
公文式レベルにして3A。幼児クラスである。
Prepの日本人同級生のD君やK君が年相応にBクラスに振り分けられていた中、私は4つも下のレベル。
日本語を使える環境ならなんとかなるなど、大嘘である。言語に関係なく、私の能力ではどうにもならなかった。
流石にケラケラ笑い出したD君やK君を見て、初めて「悔しい」という気持ちが湧き上がった。
前回も書いたが、私は落ちこぼれの自覚がそれまで薄すぎた。
落ちこぼれの自覚もなく、現地校では英語の授業を文字通り右から左へ聞き流していたらそれはどうにもならないだろう。
英語の能力以前に、まずは私にも理解できる方法で現実を見なければ何も始まらなかった。
公文は小学六年生にあがる頃にはレベルが上がりすぎて追いつけなくなり辞めてしまったが、本当に行ってよかったと思う。