町にこうした風景のあることの贅沢さ
久々に書きます。みなさん、ご無沙汰です…
町にある酒蔵のひとつ「晴雲酒造」さんを最近2回ほど見学してきました。
1回目は1月30日、そして2回目は3月9日の見学。
2回の見学を通じてその歴史や「日本酒」の面白さを体験できました。
書き進めていったら…とても1回分では書ききれない(笑)と思ったので数回に分けて綴りますね。
まずは、ここを知ってね。
冬は酒造りの最盛期。秋に採れた米から酒造りに入ります。
酒造りに大切な要素は3つ「米」「水」「気候」。
現在埼玉県には32の酒蔵があります。そのうち2つの酒蔵があります。
(一昨年までは3蔵だったのですが)
どうして、こうも酒造りが盛んだったのか…?
酒造りに適した地:小川町
まずは、小川町の地形からご紹介しましょう。
四方を低山に囲まれた盆地。関東平野北西の終点でこれより以西は秩父山脈が連なります。町の中心には槻川という川が流れています。
「水」
この秩父山脈から浸み出たミネラルの豊富な中硬水があったということは大きな要因。晴雲酒造さんの仕込み水は、浅井戸にも関わらず、この中硬水が汲めるという珍しい土地だったそうです。
「米」
江戸時代、埼玉は武蔵国として江戸の様々物資を支える台所でした。
そんな中で川越は江戸幕府の米蔵があった場所。米の調達もしやすい土地柄でした。
「気候」
酒造りは低温発酵させていくので、「寒溜まり」という盆地のような冷え込む気候が適しているそうです。
まさに酒造りに適した3要素が地形的にも位置的にも揃っていたんですね。
でも、環境が揃っていたしても、酒造りをするかどうか・・・?
そこにもう一つの要素があります。
交通の要衝で商都だった!
鎌倉時代、「いざ鎌倉へ!」と言われたように、鎌倉街道という道がありました。小川町の北には「鎌倉街道の上道」が通っています。
さらに江戸時代は中仙道から秩父をつなぐ「秩父往還」という横に走る道があります。
この鎌倉街道と秩父往還がクロスする地が小川町で、人と物が流通した場所でした。
小川町は8世紀の頃から和紙づくりが始まります。古くから大きな産業の一つでした。また江戸時代には、建具や絹織物も多く生産されました。
こうした和紙、建具、絹といった取引が現在の小川町の中心地あたりで行われていました。いわゆる問屋街でもあったのです。
となると、商談が行われるため商談成立後の一献として「旦那文化」の賑わいを生み出します。
そこに欠かせない「酒」が必要だったのです。
と、環境が揃ったことが小川町で酒造りが盛んになった理由だったそうです。かつて造り酒屋が10軒ほど存在していたそうです。
「酒」ひとつで、こんな地理と歴史がくっついた面白い話が隠れているんですね。
さてさて…だいぶ話がそれてしまいました。
そんな地で1902年創業、120年以上も酒造りを行っている「晴雲酒造」さん。
冬の朝には、米が昔ながらの和釜で蒸され、煙突から白い湯気が澄んだ青空に流れています。
小川町の地形や歴史を知ってこの真っ白な湯気を見ると、見え方が変わってくるのが不思議。
こうした景色を見られるのも小川町に酒蔵があるからこそ。
なんとも贅沢なことと思う。
晴雲酒造さんの「蔵見学」では、精米所、仕込蔵、旧仕込蔵、旧仕込み蔵2Fの酒蔵資料館を見させてもらいました。
次回は、酒造りの工程や精米所、仕込蔵の見学の様子をご紹介します。
もし、記事に興味をもっていただけた方がいらしたら、
酒蔵見学をしてみてください。
お酒好きな方は、「上級のんべぇ」になれる見学内容ですよ。
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