し ご か
死んでいるのかもしれない。
薄々ながらそう感じたのは、実家の二階の踊り場のようだった。
(薄暗い場所で、ドアを背にして立っている)
(二階御手洗いの出入口付近は昼間でも日が当たりにくく、薄暗い為、恐らくはそこだろうと思われる)
誰なのか、何なのか。追われているような気がして、なんだか怯えている。両手の平をヒラヒラさせて顔に触れたりしながら、私は自分があまりにも醜くて愚かだと恐れていた。逃げなくてはいけない、と頭の片隅で思っているような気がした。
しかしながら、意識が薄いと表すべきか、遠いと表すべきか。
なんだかハッキリ感じ取ることができず、透けているような感じがした。
気が付くと、明るい場所にいた。
見慣れた実家のリビングにいる。
階段を降りた記憶はなかった。
リビングには、父と兄弟がおり、昼下がりのようだった。
話し掛けるが、声を出して話しているつもりでいるが、気付いてもらえなければ目も合わない。そこでハッキリと確信する。
ああ私はやはり死んだのだと。
霊になって、誰にも見えなくなってしまったのだと。
何故だかわからないが、現世に留まってしまったようだ。なにかしら未練でもあるだろうか。死んでからどれくらい経っているのかは、わからなかった。
けれど、なんとなく感じ取れるその場の落ち着いた空気感でもって、自分が亡くなったのは間近のことではなく、少しは年数が経っているのではないか、と考えることができた。
触れれば、気付くんだろうか。実験のような気持ちも含めて、抱き締めていくことにした。
父はキッチンに立って皿洗いを、兄弟は進路について悩みながら炬燵にはまっており(ゲーム片手に物思いにふけりつつ、父に相槌を返している)、母はというと、外出しているらしく姿が見えなかった。
様子を窺っていてわかったことだが、どうも新しい家族がいるらしかった。まだ小さい男の子のようだ。母が病院に連れて行っているらしい。
兄弟に話し掛ける父は、記憶にあるよりも、随分柔らかく静かで、穏やかな気がした(亡くなる前の記憶では、父は随分と気分屋な質であり、私は機嫌を窺いながら過ごす癖ができていた)。兄弟は、中学生くらいなんだろうか。怒っているわけではないようだが、幼さが残る顔でありながらどこかすましたような様子が、年頃特有の雰囲気のように思えた。
抱き締めていったが、私の方を見やる(ように思えた)が、その視線は私に向けられているとは言い難く、どこか遠くを見るような目だった。当然話し掛けることもせず、反応せず、私の体には感覚すらなかった。
ふと、私の足元で大きめの虫が現れた。虫の苦手な兄弟は慌てて立ち上がり(つられて私まで慌てている)、父がキッチンから飛んでくる。緑色だった。黄金虫かもしれない。
緑色にピカピカ光る虫を見ながら、「これが虫の報せというやつか」、なんて考えが頭に浮かんだ。
父はティッシュを何枚か手に取り、黄金虫と思われる緑色に光る虫をパッと見事一掴みで捕まえ、そのまま何重かにしたティッシュごと小さく小さく丸めて、ゴミ箱に捨てた。
リビングには、バラされた切り花が新聞紙に広げられている。
霞草だろうと思う。クリーム色がかった、白い小さな花をたくさんつけていた。
ずっとそれまで無趣味で子どもにかかりきりだった母は、私が亡くなった後、花を好むようになったらしい。それがわかると、嬉しいような、淋しいような。どちらとも言い難いなんとも言えない気持ちがぽこぽこと湧き上がり、胸がぎゅっとなった。ドライフラワーにするつもりなんだろう。出掛ける直前に、花瓶からあげてバラしたのかもしれない。新聞紙や霞草は、まだ湿っていた。
なんてことない空気感、なんてことないあり触れた昼下がり。あんまり穏やかで穏やかで、それがなんだか少し可笑しく感じた。