米津玄師「ひまわり」
最近自分の生きづらさについての話が多かったので、ここで好きなものの話をぶちこみます。
8月5日
米津玄師の「STRAY SHEEP」。このアルバムがリリースされたのは8月5日でした。僕は予約していたので、一日早く受けとることができました。フラゲってやつです。
まあ何度も語っていますが一応、僕にとって米津玄師という存在は僕に「音楽を聴く」という趣味を与えた偉大な方です。推しとも言う。
そんな人物がアルバムを8月5日にリリースした。
実は、
この「8月5日」というのは僕の誕生日です。
リリース日を知った時点で僕は崩れ落ちました。職場のロッカー前で。
なんたって推しからの誕生日プレゼントを約束されたのだから。
正直あんなに楽しみにした誕生日は他にない。
そして、アルバムの中の一曲である「ひまわり」。
ひまわりという花の話になりますが、
ひまわりは8月5日の誕生花でもありました。
僕からしたらどこをどう切り取っても、この「ひまわり」という曲は僕にとっての誕生日プレゼントなのでした。
「ひまわり」という曲
アルバムで聴く前に、アルバム曲は全てYouTubeのクロスフェードで一部だけ聴くことができました。
僕はアルバムを手にする前に、それを聞きました。一通り聴き、いや、一通り聴く前に僕はもうひまわりに心奪われました。
「ひまわり」という、夏に咲く明るい黄色の花というイメージを完全に無視したような、それは切ない激情の歌でした。
Twitterでよく見たのが、「ピースサイン」と比較されたり連想されたりしたツイートでした。「ピースサイン」と並び立てられるような、強く激しくエネルギーに満ちた曲だったのです。
ちなみに、これもまた何度も語っている気がしますが、僕は「ピースサイン」がきっかけで米津玄師にハマりました。こういう系統の曲が好きなのがバレる。
格好いい曲が大好きです。そして、悲しく切ない曲も狂おしいほど好きです。
ひまわりはそのどちらでもありました。
「憧れ」
おそらくこの曲は、ひまわりの花言葉をイメージしたのだと僕は思っています。
「あなただけを見つめる」「あなたは素晴らしい」「愛慕」「崇拝」「光輝」「憧れ」
僕はこの曲にとても「憧れ」の感情を感じました。
”その姿をいつだって 僕は追いかけていたんだ”
”もしも同じ街で生まれたら 君のようになれたかな”
どうしようもないくらいの憧憬。あなたに追い付きたい。あなたのようになりたい。愛でもあり、闘争心というか競争心のようなものも感じる。
でもただの憧れの歌では終わらない。
「蹴飛ばした」「指を立てて」「噛みついた」「舌を打って」「突き刺していく」「掻き毟って」
ざっと書き出しただけでも、歌詞の中にこれだけの強い言葉がある。
それは闘争心や競争心を表すだけではない、苛立ちのようなものがあるように感じられた。
”日陰に咲いたひまわりが 今も夏を待っている
人いきれを裂いて笑ってくれ 僕の奥でもう一度”
ひまわりは太陽の方を向くから「向日葵」なんて言われたりもする。その様が、太陽にひまわりが「憧れ」ているようにも見える。
でも日陰に咲くひまわりは、太陽の方を向くことはできないだろう。
視線の先に憧れがいない。歌詞では「僕の奥で」と歌う。
暗に憧れの対象を失ったことを感じさせる。
あなたに追い付きたいという感情は、きっとあなたを追い越したいという感情でもあったのではないか。
憧れを失うということは、愛する相手を失うことであり、闘争・競争する相手を失うことであり、つまりそれは、競り勝つことが永遠にできなくなることなのではないか。
こんなことを考えるのは、米津さんが大切な人を亡くしたことを知っているから。それを僕が語るのも違うと思うので、曲の解釈についての話にとどめる。
歌っているのはとんでもない感情だと思う。その感情を音楽という形に昇華したのもすごいことだ。
僕の好きな歌詞は
”消し飛べ 散弾銃をぶち抜け 明日へ
吐き出せ 北極星へ舵取れ その手で”
誰でもない自分の手で、憧れた人の残した到達点へ突き進め。
きっと快進撃は終わらないのでしょう。