![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27654891/rectangle_large_type_2_446f56c267305624837c18ed5fa34b61.png?width=1200)
ステレオタイプと差別(2)
ステレオタイプと差別(1)のつづき。
映画やドラマを楽しむ中で「共感」という要素がありますよね。
例えば、私の場合、結婚できない30代女性という登場人物の行動や感情に共感したりする。同じように、様々な人がステレオタイプ化されて描かれるのではなく、当事者に共感される「自分と似たような」登場人物である場合、確かにメディアにおけるマイノリティの表象は大きな意味がある。その立場じゃない人にとっての知る・考えるきっかけでもある。
今回は、ちょっと前から書きたかった最近見たものの中でいくつか、新しい視点を与えてくれたものについて。
SKAMFrance ( Season4 ) // Elite( Season3 ) // Love is Blind
SKAMFranceはフランスの学園ドラマだけど、国営放送局の制作だけあって、社会的なテーマが丁寧に扱われている。Season4は高校生の黒人のムスリム女性が主人公で、フランスではじめての「黒人ムスリム女性」が主人公になった物語という意味でも話題になった。やっとだったのか…という衝撃はさておき、このシーズンを通して、個人的には自分の中の「ムスリム女性」というイメージが刷新された、というか知らないことばかりだと感じた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27655802/picture_pc_10f0eb388e9ae7677d7a98a3268f8171.png)
同じムスリムでもいわゆる黒人系とアラブ系の間に存在する緊張感とか、黒人が多く住むパリ郊外の地域に住み続ける人とその外に出ていく人の間に生まれる溝とか、信仰と自分の欲望間でゆれる気持ちとか、それが恋愛と絡むとさらに苦しいものであったり…。主人公が好きになった人が、ムスリムコミュニティにいながら無宗教者であることを知り愕然とするシーンは忘れ難い。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27655898/picture_pc_2c49d76afa80a6c53f69076f3879427d.png?width=1200)
Netflix制作のEliteはスペインの学園サスペンスドラマでフィクションであることが強調されながらも、ゲイやムスリムの登場人物をしっかり描いている。ただし、「宗教に抑圧された被害者のようなムスリムの登場人物はステレオタイプ的である」「非行・反抗や自己の開放としてムスリム女性がベールを外すという描写に違和感がある」といった批評を見かけた。どれだけ当事者のリアリティがあるのかが当事者以外にはなかなか分からないのもマイノリティ描写の難しさでもある。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27655912/picture_pc_5a2f94d1a547c366c441a8b78c14d3eb.png?width=1200)
Love is Blindは会話を重ねて惹かれ合ってプロポーズ成功した後にやっと顔を合わせて結婚を目指すリアリティ番組だ。そこで、黒人女性/白人男性となったカップルが、実際に合って2日目くらいで将来子供を持つことを展望するシーンで男性が
I know that the world is going to perceive them as black, you know...I know...it's going to make their lives harder in some way. But I think I trust you and I to raise them in the right way(...)
訳≫ 私たちの子供が黒人として見られる故に、それが、どこか、彼らの人生が生きづらいってことになるかもしれないということは、理解しているけれど、でも、2人でなら、しっかり寄り添ってあげられると思うんだよ。
という言葉が、まだ存在してすらいない子が運命づけられる悲しい未来、アメリカにおける黒人が生きている現実すべてを象徴しているという感じであった。そもそも、男性は過去にも黒人女性とお付き合いしていたが、女性ははじめての白人男性で…最初戸惑っていたり、白人男性が相手であることで戸惑う女性の父の姿や、人種を超えた、黒人/白人の恋愛のハードルの高さは、想像を超えていた。
このように、どれも、意識していなかったり、充分に配慮や想像をしていない現実という意味で新しい視点であった。新しいというか、差別の話をする時に、問い直すことの大切さや安易に終わらせないことのリマインダーという方が適切かもしれない。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27655941/picture_pc_008ea0f0863f167acb6247303d8fd2a2.png?width=1200)
最後に、Twitterを見ていたら、今回不当に命を奪われたジョージ・フロイドに関して、強盗等の前科があることを報道しないことはアンフェアで「報道次第で全く印象が変わる。」という発言を見かけた。一部のアメリカ白人が言い始めたことで、日本でも賛同している者がいるようだ。でも、これは大きな間違いだ。前科があったこと(刑も終えていた)と、今回警察に殺害されたことは、むしろ別に論じられるべきだ。被害者の過去によって、今回の警察の過失が矮小化されてはならない。アメリカが抱える長い負の歴史の延長線上にある事件であることを想像すれば、そんな発言はできなはずなのである。