【自分の本心】言えない事と本音は違う
自分の本心が言えない、そう思う事がありますか
自分の本心が言えないのは、言おうとしている事が自分の本当の思いかどうか、自分でもわかっていない事があるからだと思います
本当に自分の思いであると思えるのであれば、自分の本心を言う事ができないと思う事はないように思います
もちろん、どんなに自分の本当の思いであっても、言う必要がない事であれば言わないいう事もあるとは思います
しかし、言った方が良い事であれば、例え相手が気を悪くすると思う事であっても、自分の本心を言う事はできると思います
自分の本心を人に伝えるのは意外と難しいのかもしれません
伝えるニュアンスによっては、自分の思いとは違う思いのように相手に伝わってしまう事があるように思います
どんなに、自分の本当の思いが基になっていたとしても、自分の本当の思いを伝えられなければ、自分の本心は相手に伝わる事はないと思います
だからといって、自分が言えない事と本心は違うと思います
どんなに本心だと思う事でも、自分が人に言えない事であれば、それは本心ではないと思います
自分にある思いの一つではあるかもしれせんが、言えないというだけでそれを本心だと思うのは少し危険だと思います
人に言えない思いは、自分の思いとしては不完全な思いだといえます
まだ、完全に自分の思いになっていない、自分の思いとしては中途半端な思いだと思います
私たちがしてしまう誤りは、まだ中途半端な思いを自分の本心だと勘違いしてしまう事のように思います
自分の思いが言えない事は、その思いがまだ中途半端な思いだからです
確かに、言えないと思う事は、自分の心の奥の方にあるかもしれませんが、だからといって、それだけで自分の本心だと思うのは違うように思います
それなのに、心が抑圧された時に飛び出してしまった、言えない思いを自分の本心だと思ってしまうと、自分の本当の思いが自分でも見えなくなってしまうように思います
何かによって抑圧されて出た心の思いは、ただ言えなかった思いなだけで、それは、自分の偏った一部の思いしか反映していない中途半端な思いだといえます
特に感情的になって言っている事ほど、自分の本心とは違う思いを言っている時のように思います
感情的になっている時は、感情という力によって心の奥でくすぶっていた思いが外に押し出されているだけだと思います
感情的な言葉には、普段では言わないような言葉が含まれる事が多いので、言われた方には衝撃的な言葉が多いかとは思います
しかし、だからといって、その言葉がその人の本心だと思うのは間違いだと思います
そこにあるのは、普段は言わないようにしている、不安や不満などの思いが言葉としてあふれ出ているだけのように思います
感情的になって初めていう事は、その人が思っている思いの一つでしかなく、それがその人の本心ではないと思います
感情的になって言えない事を言っている時は、自分の本当の思いに気づいていない時だと思います
誰にも言えない事が自分の本心ではなく、誰にでも言う事ができる事の方が自分の本心だと思います
自分の思いを伝える必要がある時は、例え相手がどんな人であっても伝えられる思いが、自分の本心だと思います
言えない思いは、自分が思っているだけの思いだと思います
言えない思いは自分の本当の思いではありません、必要な時に必要な人に言える思いが自分の本心だと思います
自分の本当の思いは、自分の心が平穏な時でなければわからないと思います
何かに抑圧されていた思いは自分の本心ではありませんし、人から良く見られたい時の思いも自分の本心ではないと思います
自分の本心は、自分がどうなりたいかという思いであり、どう見られているか、見られたいかという思いとは違うと思います
人は、自分がどうなりたいかよりも、どう見られているか、見られたいかという思いの方が大きいと、自分の本心が見えなくなる事があるように思います
決して、それらを考えてはいけないという事ではなく、それよりも自分がどうなりたいかを考える事の方が必要だという事です
自分がどうしたいかよりも、どう見られるか、見られたいかの方が大きいと、なりたい自分になる事はできないと思います
人から良く見られる自分がなりたい自分であれば構わないかもしれませんが、それが本当になりたい自分である事はいないように思います
もちろん、人から悪く見られるよりは、よく見られた方が良いとは思います
しかしそれは、自分がなりたい自分になろうとしている事が前提だと思います
もし、なりたい自分になろうと思っているのに、周りから悪く見られていると思う事があるならば、そのなりたい自分は本当になりたい自分ではないと思います
そこにあるのは、自分だけ良ければいいという、なりたい自分ではなく、自分だけ良くなりたいという思いがあるだけのように思います
どんなに、あざとい事で人からよく見られても、あざとい事で得たものは本当の自分が得たいものではないように思います
あざとさは小手先のテクニックにすぎず、その場しのぎには有効な事があっても、自分の人生にとって有効な事はあまりないように思います
本当になりたい自分になる為に、他の人の心を操作する必要はないと思います
他の人の心は自分が思うように操作できないと思うからです
他の人の心を操作できると思う事があるのは、操作されている人が、操作されている状態の方が良いと思っているだけのように思います
そこにあるのは、お互いの利害が一致しているだけの関係だと思います
自分がどうなりたいかという思いよりも、どう見られる、見られたいかという思いの方が大きい人は、周りの事が気になってしょうがない人のように思います
自分が気なる周りの事を気にする事は、周りの事をまったく気にしないよりはいいと思いますが、気になる事を気にし過ぎてしまうのは良くないと思います
自分が気になる事を気にするようにしていくと人は、気にする必要がない気になる事まで、気にするようになってしまう事があります
特に、自分がどう見られる、見られたいかが大きい人は、自分が気にする必要がない気になる事まで気にするようになってしまう事があります
自分が気になる事のすべてを気にするようにしていたら、周りの事が気になってしょうがなくなります
気になる事は気にするのではなく、気にかけるようにする方が良いと思います
気にするようにしていくと、気になる事のすべてを受動的に気にするようになっていきますが、気にかけるようにしていくと、気になる事の中から能動的に自分から気にかける事を選択していく事ができるようにあります
気になる事を気にするのではなく、気にかけるようにしていく事で、周りの思いに惑わされる事なく、自分の本心が見えてくるようになると思います
自分をよく見せようと他の人の思いを惑わそうとしている時は、逆に自分が、他の人の思いに惑わされている自分がいる時のように思います
自分の本心を知りたい時は
自分がどう見られる、見られたいかは置いといて
自分はどうなりたいかを考えるようにしていきましょう
周りがどう見ているかは関係なく
周りがどうして欲しいと思っているかは考えず
今の自分がどうなりたいかだけを考えていきましょう
なれるかどうかは、考える必要がありません
ただ、どうなりたいかだけを考える事が大事です
じっくり考えて、出てきたものが
自分の本心だといえます
感情的になっている時に思っている事は
自分の本心ではなく
心の中でくすぶっていた、ただ言えなかった思いです
自分の本心が言えないのは
自分を理解してもらおうとしていないだけだと思います
相手に自分を本当に理解してもらおうとしていれば
自分がどう思われるかは関係なく
自分の本心を相手に言う事ができると思います
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