【妥協する】折り合いをつける妥協をする
妥協する事はありますか
妥協の本来の意味は諦める事ではありません
妥協という言葉を辞書で調べてみると「対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること」と掲載されています
妥協する事とは折り合いをつける事だといえますが、その妥協が諦めるという意味で使われる事が多々あるように思います
妥協と似たような言葉に譲歩という言葉があります
譲歩を辞書で調べてみると「自分の意見や主張を押さえて相手の意向に従ったり妥協したりすること」と掲載されています
譲歩の意味の中に妥協するとあるので、妥協する事も譲歩と同じような解釈をされている事があるのかもしれせん
しかし、譲歩は自分の意見や主張を押さえて相手の意向にしだがう妥協なので、折り合いをつける妥協とは意味がまったく違ってくると思います
自分の意見や主張を押さえて妥協している時は、それは妥協ではなく譲歩だといえます
譲歩する事を妥協する事だと思ってしまうと、妥協する事はを諦める事だと思ってしまう事あるように思います
譲歩する事を妥協する事だと思い、妥協するには何かを諦めなくてはいけないと思ってしまうから、妥協の本来の意味である、双方が譲り合って穏やかに解決する為に折り合いをつける事ができない事があるように思います
お互いの主張に違いがある時は、双方が譲り合って一致点を見いだして穏やかに解決する為に折り合いをつける事が必要だと思います
それは、自分の思いに対しても同じであり、自分の思いにある理想と現実に対しては、譲り合って一致点を見いだして穏やかに解決する為に折り合いをつけていく事が必要だと思います
そうではない自分に対して妥協したくないと思う事がある時は、それは妥協ではなく譲歩しようとしているか、或いは諦めようとしている時だと思います
現実を見ないで理想だけを追い求めているだけでは折り合いをつける妥協をする事はできないと思いますし、逆に現実ばかり見て理想を追い求める事がなくてもできないと思います
妥協する事は、自分の理想と現実の両方に自分が折り合いをつけていく事ができて初めて、妥協する事ができるようになると思います
理想と現実のどちらかしか見ていない人が妥協という言葉を使っていても、それは妥協ではなく譲歩でしかないように思います
その事が、妥協という言葉が本来の意味で使われる事がない事につながっているように思います
人生の選択で妥協したくないという言葉を聞く事がありますが、それは妥協が譲歩になっているからだと思います
人生の選択で折り合いをつける妥協をしないという事は、自分の心の思いの何かを押さえて譲歩していくしかなくなります
自分の心の思いと折り合いをつけるのではなく、心の思いの何かを押さえる譲歩をしていては、自分がなりたい自分になれる事はないように思います
自分の思いと折り合いをつける妥協をしていれば、自分の選択に対して自分に責任があると思う事ができますが、譲歩している場合はそうではないと思います
譲歩している場合は、自分の思いを押さえている事があるので、自分の選択に対して自分に責任があると思えない事があると思います
自分に自分の選択の責任がないと思う譲歩を妥協だと思っていれば、自分に妥協したくないと思うのもわからないでもありません
しかし、譲歩する事を妥協する事だと思っていると、自分の選択の責任を他のせいにして本当の妥協をする事ができずに、自分にとって必要な選択肢を見逃してしまう事があると思います
妥協する事と諦める事は違います
それなのに、妥協するには何かを諦めなくてはいけないと思ってしまうと、妥協の本来の意味である対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見いだしておだやかに解決する事はできないと思います
妥協するには諦める事が必要だと思っていると、自分の意見を通したい時は、お互いの一致点を見いだすのではなく相手のマウントを取る事をしようとする事があるように思います
お互いが妥協するのではなく、相手のマウントを取る事で譲歩させようとしてしまう事があると思います
本当は、折り合いをつける方が良いという事は誰もがわかっているのに、妥協する事をどちらかが譲歩する事だと思っていと、対立する事があるとマウントの取り合いになってしまう事があるように思います
他の人と意見が違う事がある時は折り合いをつける妥協をしなければ、どちらかが譲歩する、或いは諦める事をしなければいけない事になってしまいます
自分の意見の方が他の人にとっても良いものであれば、他の人に譲歩させたり諦めさせる必要はないように思います
他の人が譲歩したり諦める事があるという事は、それはどんなに自分が良いと思っていても、それは自分とって良いだけであって他の人にとっては良い事ではない事だと思います
妥協とはお互いが折り合いをつけていく事であり、どちらか一方しか妥協しない事は、妥協ではなく譲歩だといえます
自分の心にある様々な思いに折り合いをつける為に自分に妥協する事は必要だと思います
自分の心の思いに妥協する事ができないと、自分の心に対立する思いがあった時は、どちらかの思いを押さえてしまう譲歩をするか、或いはどちらかを諦める断念をしていくしかなくなるように思います
譲歩や断念をしていては、自分の思いの一部しか選択する事ができませんが、折り合いをつける妥協するようにしていけば、自分の思いのすべてを加味した新たな選択をする事ができるようになると思います
自分にとって大事な選択は、自分の心にある思いのどれを選択するという事ではなく、自分の心にあるすべての思いを総合した選択をする事だと思います
妥協する為に諦める必要はなく、必要な事は自分の心にあるすべての思いと向き合って、それらの思いと自分が折り合いをつけていく事だと思います
それなのに、妥協する事は諦める事だと思っていると、自分の思いとも向き合おうとはせずに、本当の意味での妥協をする事がないように思います
自分の思いと自分が向き合う事がないと、他の人の言動ばかりが気になってしまい自分の思いが見えなくなってしまう事があります
誰かが良いと言っていればそれが良いと思ったり、誰かがダメだと言っている事をダメだと否定したりしてしまう事があります
そこにあるのは、妥協する事を諦める事だと思ってしまい、自分の思いに妥協する事ができない自分がいるように思います
自分に妥協する事できないと自分の言動に責任を持つ事ができなくなり、他の人に自分の責任を委ねてしまう事があるように思います
妥協する事は決して諦める事ではなく折り合いをつけていく事だと思って、自分の思いに自分が妥協できるようになると、自分の言動のすべてに自分が責任が持事ができるようになると思います
自分に妥協する事ができるようになると、自分以外の事でも妥協する事ができるようになり、対立している事だけではなく、すべての事でお互いの良い所を融合させてお互いにとって良い事を見つける事ができるようになると思います
妥協する事は対立がある時には必要な事だとは思いますが、対立がなくても複数の事を融合させてもっと良いものを見つける為にも必要な事だと思います
日々の生活の中で妥協する事がありますか
妥協する事を諦める事だと思ってしまうと
妥協してはいけないと思ってしまうのかもしれません
しかし、妥協する事は決して諦める事ではなく
すべての事に折り合いをつけていく事だと思います
何かに折り合いをつけていくという事は
お互いを半分ずつを取り入れるという事ではなく
お互いを融合させてお互いにとって良い事を探す事だと思います
お互いとって良い事を探して見つける事ができると
どちらか一方を選択する時よりも良い選択ができると思います
妥協する事はお互いの良い所を融合させる事である
そう思う事ができれば
譲歩するのではなく、折り合いをつける妥協をする事ができると思います
そうすれば、折り合いをつける妥協をするとお互いが良くなる事がわかります
妥協するには何かを諦める必要があると思うのは
妥協する事が譲歩する事になっているからだと思います
人生の選択で譲歩ばかりしていて
なりたい自分になる選択ができているとは思えませんし
そんな選択をしている自分が思うなりたい自分が
本当になりたい自分てあるとも思えません
自分が自分の思いに折り合いをつける妥協をしていけると
なりたい自分を諦めたと思うのではなく
新しいなりたい自分が見つかったと思うようになり
もっとなりたい自分になっていこうと思う事ができると思います
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