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デザイナーになることを決めたあの日

この記事は「ReDesigner for Student 後輩に贈るデザイナー就活応援 Advent Calendar 2022」の14日目です🎄

僕がデザイナーを目指したのは2019年夏。
LINE本社でReDesigner for Studentの初リアルイベントが開催されたときでした。

あの場にいらっしゃったのは今のデザイン業界を席巻される方々ばかりで、僕の人生のターニングポイントとなるのですが、その中のお一人に当時クックパッドに転職されたばかりの宇野さん(@saladdays)がいらっしゃいました。

時は経って3年。
Designshipというデザイナーにとって憧れの舞台で、ご縁あってnote社でCDOとなった宇野さんと再会することができ、当時「学生」だった自分も「デザイナー」としてお話している感慨深さがありました。

その舞台裏で「#デザイナーになったわけ」というお題企画をスピーカーの方々が書いていらっしゃったので、僕もこれに沿いながら自分がデザイナーになるまでの話で、少しでもデザイナーを目指す学生の方々のモチベーションの火種になればいいなと思います。

5,000字に及んでしまったので前章(僕の話)と後章(伝えたいこと)に分けました。時間がない人は後章だけどうぞ!


前章:「努力を努力とも思わないような"心躍ること"を求めて」

そもそもなぜイベントに参加したかというと「プログラマーに挫折したから」でした。

大学1年生の僕は『リッチマンプアウーマン』に感化されて「リーダーシップがあって自分で実装するスキルもある、そんな起業家になりたいなぁ…💭」なんて淡い夢をぼんやり描いていました。

リッチマンプアウーマンの写真

その影響あってか、大学ではComputer Science(プログラミング)とBusiness(起業家精神)の二つを専攻し、かなり背伸びをしてアイルランド最高学府であるTrinity College Dublin(ダブリン大学トリニティカレッジ)に進学しました。

大学正面の写真
授業の様子
実際の授業の様子

「俺よりすごい人に会えたら人生変わるかもしれない。有名IT企業のヨーロッパ支社が集うアイルランドには、きっとプログラマーとしてチャンスがあるに違いない!」と期待を胸に正規留学したのが2018年のとき。

そこに行けばチャンスはゴロゴロ転がってると思っていました。というのも僕は人生勝ちより負けの方が圧倒的に多かったので、本気で人生を変えたい一心でアイルランド留学したのですが、待ち受けていたのは "人生ハードモード" でした。
周りの学生は優秀な海外の学生ばかり。英語もプログラミングもハンディキャップを抱える僕は到底及ばず、最初から落ちこぼれ状態でした。

しかもその中には、指折りの天才が紛れていました。
言語習得が異常に早い人・呼吸するようにコーディングをする人・教鞭を奪って授業しちゃう人・AとBについて議論するディベートでCを生み出す人…
彼らに共通することは「人が努力と感じることを心から楽しんでしまう」とに気付いて、同時に「あぁこの土俵じゃ一生勝てないな」とも悟りました。
なぜなら、僕はプログラミングに1mmとて心が躍っていなかったからです

けれど、挫折するにも葛藤がありました。
人生で既に何度も挫折をしており、そのたびに人生プランを変えてきました。「ここで結果を出さなかったら一生負け癖がつく気がする。しかも親に高い学費も出してもらっていて、自分で決めた海外留学なのに逃げられない」と、自戒が重い楔になっていたのです。

Javaアルゴリズムだのデータ解析だの、僕がヒィヒィ言ってる間に、天才たちは一瞬で終わらせて帰っていきます。膨大な課題がバカバカしくなって、大学数学をProcessingでジェネラティブアートとして昇華することぐらいしかやる気が湧かず「大学辞めたい。転部したい…」と周囲に吐露する時期もありました。

Processingで作ったビジュアルアート
ぼんやりメディアアートやりたいなぁと
3Dモデリングとか映像とかビジュアルライクなものに逃避していた時期。

「この先どうしよう…」と釈然としない日々を過ごしていたとき、友人から「デザイナーとか向いてそうだから行ってみなよ」と紹介されたのが、冒頭のReDesigner for Studentの学生向けデザイナーイベントでした。
「デザインって絵描いたりするんでしょ?アーティストと紙一重なのに食べていけるのかな…」ぐらいの認識でしたが「まぁちょっと話でも聞いてみるか」と新宿のLINE本社に赴いたのです。



2019年当時は、2018年5月に経済産業省から『デザイン経営宣言』が発表され、その中の施策として『高度デザイナー人材の育成』が盛り込まれていました。

登壇企業の話を聞いていると「未来のデザイナーを育てるぞ!」と、どのデザイナーもまるで湯気が見えるぐらい熱を帯びていて、本気でデザインの定義や社会における立ち位置を変えようとしていました。
人を起点に、より良い未来を作る変革の力がデザインにはある。素人目にも「今この瞬間がまさにエポックメイキングかもしれない」と直感で悟りました。なんかワクワクする。あれ、もしかして心躍ってる。。。

すっかり絆されてしまい、デザインのデの字も知らないながらにめちゃくちゃなポートフォリオを1ヶ月で実装して(自分では超本気でしたが)、そして縁あってアイルランドに戻るまでのあいだ短期インターンをさせていただきました。

デザインを学び始めた当時のポートフォリオを、現場目線でフィードバックしてもらうという記事。こてんぱんにされてるので初学者も勇気出るはず。



そこからアイルランドに戻り学業に専念しようと思っても、寝ても覚めてもデザインのことしか考えられなっていました。
気づけばデザインの情報を追いまくってるし、デザイン作品増えてきたし…

YouTubeリデザインのペーパープロトタイプ
身近に使っているYouTubeのリデザインなどから着手。

大学で授業を受ける姿勢も変わりました。
ビジネスの授業では、チームメイトの鼓舞から、企画時点でどう一緒にプロジェクトのブループリントを共有して推進していくか。
プログラミングの授業では、要件定義からプロトタイプ設計まで一貫したデザインを担当することが増え、どのようにエンジニアと共創すればいいものができるかばかり考えていて。

すると周囲の見る目も少しずつ変わってきました。
「数学だけちょっと得意な、英語での意思疎通が乏しい日本人」から「うちの学部でデザインにおいて右に出るやつはいない」と言われるほどに熱中していました。

かくして、僕はデザイナーになることを夢見るようになったのです。

9時間の時差でヘロヘロになりながらも日本時間のオンラインインターン・イベントに参加したり、「Designship Challenge」というコンペで日本にいるデザイナー学生を巻き込んで、賞を取るのに躍起になるあまり徹夜続きの日もありました。
でも不思議なことに、なんの苦でもありませんでした。

Designship ChellengeでFjord賞をいただいたときの画面キャプチャ
初めていただいた賞はチーム制作。
このときには集合知でデザインに取り組むことを何よりも大事にしていました。

課題に忙殺されてデザインに集中できないフラストレーションを抱えつつも「一刻も早くデザイナーになりたい」そんな一心でできる全てに身を投じてきました。ビリだった成績もいつしか伸びて「もうここで学ぶことはない」と、3年間で飛び級卒業をしました。そしてデザイナーとなり今に至ります。

大学でComputerScinenceとBusinessを専攻したこと、プログラマーを諦めたこと、でも退学や転部をしなかったこと、リスクを負ってでも飛び級したこと、そしてデザイナーになったこと、サイボウズに入社したこと。

その時々に悩みながらもベストを尽くしてきたので、すべての選択は間違ってなかったと思うようにしています。
結果的に、実装・アクセシビリティ・品質保証といった他領域にも越境しながら、その道のプロフェッショナルと開発をする、デザインの側面ではリードするような僕のプレースタイルの源になっていて。どの選択も後悔は1mmもありません。


後章:「すべてのデザイナー就活生に送る3つのマインド」

「おいおいちょっと待てよ。ここまで読んだのにお前の話ばかりで何も得るものがないじゃんか!」と落胆される前に、前置きさせてください。

実は、僕はこのアドベントカレンダーのお声かけを一度お断りさせていただいていました。というのも、偉そうに自分語りしてもなにも共感してもらえないんじゃないか、烏滸がましいかなと思ってたんです。
けれども「飛田さんのストーリーで構わないからぜひ話して欲しい」と、学生当時にお世話になった方々に背中を押していただいてこうして筆を取っています。

なので、ここから本題とさせてください。
僕の人生に再現性はないかもしれないけれど、こんな人生を辿ってきた僕の価値観で大事にしている3つのマインドをお話しできればと思います。この考え方ができるようになってから人生が好転している(と僕が勝手に定義づけている)ので、きっと持って帰れると信じています。


" チャンスは転がっていない "

僕は優秀な海外大学に行けば、チャンスがゴロゴロ転がっていて、人生が180°変わると安直にも思っていた話を冒頭でしました。しかし、実際には"金山"はなかったし、自分から掘り出さないと"金"は見つけられませんでした。

最初から向いてる・向いてないが分かるはずもないので、右も左も分からない状態ならば、いっそ飛び込んでみることを僕は大切にしています。
旺盛な好奇心に身を委ねて、様々なことに手を出してみては「あれは違うこれも違う」と、自分の敷いたレールの軌道修正をしてきた人生でした。
人が挫折しやすい"ウィークポイント"を掴めるようになったのは、自分が色んなことにたくさん挑戦して挫折するたびに痛みを知れたからだと思っています。

また、バッターボックスの順番を待たないのも大事にしています。
立てる打席には全て立ち、自分から打席に入ってフルスイングしていると、たまにバットにボールが当たることがあるんです(実際には手を差し伸べてくれる人が現れます)だから空振りを恐れないこと。

ただし、差し伸べられた手が利己的なのか利他的なのかの選球眼は養う必要があります(デザイン業界はお人好しな方が多いですが)


" 直感を信じろ "

自分の人生に迷う時がきっと訪れます。
僕もちょうど就活目前の年末、UXとUIデザイナーのどちらがいいんだろうと血迷って軸がブレかけたとき、ReDSの田口さん(@kzm_tgc)をはじめ、お世話になった方々に相談に乗っていただいたり、どの企業がいいかの判断を最後まで迷った時がありました。

でも、自分が一番どうすべきかわかってるんですよね。

僕が大学で勉強しているときも、頭の中は「もっとデザインやろうぜ!」と囁いてきますが「課題が終わらないから」などといろんな理由を並べては、自分を押し殺してきました。本当は頭の中の小さな囁きが一番正しかった。

どっちがいいか迷うなんてときは大抵、アタリもハズレもないんです。
何度も言いますが、自分の選択は自分が正解にしてあげるしかないんです。
だから心躍る方向に向かえば、それは正解になるのです。


" これから待ち受けるデザイナー人生は、華やかで修羅の道のり "

僕が新卒向けデザイナーイベントでは常々伝えていることがあるのですが、ぶっちゃけデザイナーにならない選択も正しいと思ってます。

描いた通りの順風満帆な人生を歩めたら最高だけれども、そんなうまく行くことばかりじゃありません。努力のベクトルが少しでもズレてればお祈りされるし、企業都合で人生振り回されるなんて往々にあります。

「デザイナーの数が圧倒的に足りません」と僕が最初に聞いた3年前から、新卒でデザイナーになる門戸の狭さは残念ながらほとんど変わっていません。だから全員が手を上げたら夢を叶えてあげられる体制はまだまだ未整備なのが現状です。
(夢や希望を語ってくれるデザイナーがいっぱいいるからこそ伝えますが)さらに現実を突きつけると、デザイナーになっても様々な理由で業界から身を引く人も大勢います。

〇〇賞だの大御所だの、権威性ばかりが煌びやかに輝きがちな業界だけど、そんなものは氷山の一角。その裏には血の滲む努力が待ち受けているし、これから歩むデザイナーキャリアは地を這うような泥臭い修練の連続です。

たくさんのプロトタイプの屍を量産して、デザインの価値浸透に孤軍奮闘して、ときにユーザーからの鋭利な刃が刺さったり、まだまだデザイナーの価値が低かったり…なんてのは業界全体でよく聞く話ですが、どこの会社に行っても多かれ少なかれ絶対苦悩はあります。

デザイナーは純粋な腕っぷしの強い人がなれるもんだと最近まで僕も思ってました。でも本当は、いいモノやコトを作る熱量が異様に高くて、妥協を許せないような諦めの悪い人がなれる仕事だと思ってます。

ここまで釘を刺してもなお、それでも熱量と覚悟があってデザインに諦めがつかない方は、ぜひ一緒にお仕事してこの業界を盛り上げていきましょう!



と、5,000字超えの偉そうな長文を書き連ねてきましたが、まだまだ2年目になったばかりのペーペーで、僕もいつも背中を押してもらってばかりです。
三年前のあの日、人生の露頭に迷っていた僕の心の火をつけてくれた皆さん、聖火リレーを次の世代に託せたでしょうか。
もしデザイナーの扉を叩きたい方の心を震わせることができたのなら、それは本望です。

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