貴方に逢えて
暗闇に、一筋の光が差した。
喉からごぷ、なんて聞いたこともない音がする。
気付けば、いるのは水の中。
1寸先も見えない、深海ともいえようそこに、ただ1人、沈んでいる。
手を伸ばした。
掴めたのは泡だった。
泡が、潰れる。
生まれた小さな泡が、元より速い速度で光へ向かっていく。
その光景に、どうしようもなく吐きそうになる。
泡が光に届きそうになる。
寒気がした。
瞬きの間に、光が消えた。
…どこか、安心した。
あ、いきが、つづか
「…」
時刻は11時。
玄関から名前を呼ぶ声と、チャイムが聞こえる。
やらかした。
「おそよ〜う。生きてる?」
「…まあ、なんとか?」
「声ガラッガラで笑うわ。1回水飲め。」
久しぶりに会った親友は、また一段と大人びて見えた。
「最近どう?忙しい?」
「ありがたいことにね。」
「1ミリも感謝してなさそー」
首元の星が揺れた。
ちょうどソーサーとカップのぶつかる音と重なって、やけに機械的な輝きに見えた。
「でもまあ、なんか嬉しいよ?私は。」
「…嬉しいの?」
「あんたが未だに私を頼ってくれるってのが。」
「まあ、だってそんなに仲良い人いないし。」
「外面コミュ強なのにね?」
「…気にしてるの〜!」
ようやく眠気が覚めてきて、スイッチの入った私を見て笑う彼女が眩しい。
羨ましい。
「…私の好きな物って、なんだと思う?」
「えー?最近のは知らないよ?」
「まあ、そうね暫く連絡取れてなかったし。」
「強いて言うなら私だな。」
「…それ1番にあげる?」
「だって、やばいって思ったのいつ?」
「…ちょうど連絡した日。」
「ほら、1番に頼ったんでしょ?私を。」
ぐうの音も出なかった。
良くも悪くも、私の本性を知っている人は彼女しかいなかったのだ。
「今日のお悩みはなんですか〜?対価は奢りね。」「…まあ、そんくらいいいよ。
そうだな…もどかしいって思ったの。」
「へぇ、何があったの?」
わかりやすく、棘のない言い方。
…いや、気遣わなくていいんだっけ。
でもそれが、気を遣わないことが引っかかって喉が締まる。
お菓子に落としていた視線を、ちらと親友に戻した。
変わらない、優しい顔をしている。
「当たり前って言われると思うけどさ、言葉って言わなきゃ伝わらないんだよ。」
「うん。」
「それがすごくもどかしい。
自分はこう思ってる、って言うのが苦手なのに、そうしないと相手は思いの反対の事をしちゃうかもしれない。
…こうやって、対面する分にはノンバーバルコミュニケーションってあるじゃん?でも、SNSとかはだめなんだよ。」
「そうだね。書かれた文字が全てだもん。」
「伝えたい言葉が、追いつかない。足りないんだけど、足りるように話しちゃったら多分、責められてるとかお喋りな人だとか思われるんじゃないかなって。
それはちょっと…違うじゃん?」
「ふふ、そうだねぇ。楽しいタイプのお喋りかって言われると人によるし。あ、私は楽しいよ?」
「…ありがと。」
「ま〜そうね、あんたは基本受け身だから。」
「だって、それが一番いいもん。」
嫌いな人と無理に関わる必要は無い。
嫌いな人は話しかけてこないんだから、話しかけてくれる人とだけ仲良くする。それがお互いにとって良いと思ってる。
「新しい友達は?相談できた?」
「…」
脳裏に過ぎるのは、別件で相談した新たなクラスメイト。
『恋人って、その人の1番…だと思うの。だから、他に同じように仲良くしてる人がいるなら、恋人って肩書きが消える気がして。
…そんなに恋愛経験がある訳じゃないんだけど。』
『う〜ん、難しい問題だけど…』
――別に、そんなに深く考えなくていいんじゃない?
だって、恋人は恋人、友人は友人だからさ。
「…全然。私の意見に対する一言目で、合わないなって思った。」
「中々お眼鏡にかなう人はいないねぇ。」
「そんなに厳しい条件かな…人をまっさきに否定しない人、って。」
「世の中そんな馬鹿ばっかでしょ。」
「随分極端に言うね。」
人の嫌がることはしない。
誰だって、自分を否定されたら嫌だ。
それを、当たり前にやってくる。
相手に思いやりの気持ちを持って。
それは、人間という種に分類される動物ではなく、人という共同体の一員に数えられるために必要とされるスキル。
ただ、少しだけ、共感して欲しかった。
ただ、少しだけ、考えてみて欲しかった。
それだけなのに、な。
「良かったじゃん、縁が切れて。
相手があんたを良く思ってなかったらwin-win。
思ってるなら尚更離れられてよかったんだよ?」
「…私の努力次第で仲良くなれたかもしれないってことじゃないの?」
「だって想像してみ?純粋な善意で地雷原タップダンスされるんだよ?」
…にこにこで爆発させながら踊ってるってこと?
「自我が死ぬ前に離れて正解。善意ほど断りにくいものは無いよ。」
「…そっか、悪意あった方がましだね。」
無理に仲良くなろうとしたら、きっと、我慢が出来なくなっていくんだろう。
いずれ爆発して、おしまい。
「おべんきょーの方はどーよ。」
「…聞く?それ。」
「え、そんなにまずい?」
「この間、遅刻してさ。
遅刻多すぎって怒られたの。」
「…怒られたの?」
「そう。私がそういう体質だって説明しても聞かないんだよ。」
「偉めの先生にも医務室の先生にも説明したって言ってたよね?」
「うん。起立性調節障害。」
端的に言えば、とにかく朝に弱い。
起きたくないんじゃなくて、起きれない。
立ち上がったら何かしらの不調が襲ってきて、横になると少し回復する。これはもちろん私の症状であって、個人差があるんだけども。
「私だってさ、言い訳にしたくないよ。
皆と同じように講義聞きたい。
でも、出来ない。やりたいのに出来ないから怒られるのってさ、二重に辛いの。」
「そうだね、自分でも思ってるのにってなるわ。」
「気持ちが無視されるのがいやなの。
なんで、なんでさ、」
「うん」
「…わかってもらえないのかな。」
あまり話したことのないクラスメイトからも責められた。
どうして遅刻するのか、どうして居眠りするのか。
そんなの、私が1番知りたいよ。
私だって遅刻したくないし居眠りもしたくない。
わかんないよ。
「提出物の評価高めのやつとってる…よね?」
「うん、出席を評価に反映させるのは少なめだし、一限は入れないようにしてる。どうしてもとりたいのだけ。」
「そっか、そのとりたいのに遅れちゃうんだ。
…つらいね。」
「…うん。」
窓際の席なのに、涙が滲んできた。
講義室じゃ1ミリも出なかったな。
「過程が無視されるのもすごく辛い。
過程が評価されればもっと良かったものだって沢山あるのに、それも言わなきゃ伝わらないのが悲しい。」
あんなに頑張ったグループワークの課題は、低い点数で終わった。
私のせいかもしれない、と何度思ったか。
みんな、努力してる。
その量や方向が違うだけで、皆。
努力という言葉に見合うか、自信が無いだけで。
結果だけを見て、その努力の量や質がはかれるなんて、そんな馬鹿なことがあっていいんだろうか。
ただその刹那を垣間見ただけで。
なにも、わかっちゃいない。
「はい。」
「…ありがと。」
そっと目の前に置かれたハンカチとティッシュを手に取る。
私は今、どんな酷い顔をしてるかな。
「…私も昔から思ってることがあってさぁ。」
「うん、」
目の前の彼女が、窓を見た。
横顔が照らされて、リップが映える。
「絵描くじゃん?私。
絵ってさ、芸術じゃん。」
「そうだね。」
涙を拭いたティッシュを置いた。
メイクがちょっと落ちた。
「何をもって金賞にしてるんだろうね、って。
芸術も、優劣つけられるべきじゃないと思うの。
きっと過程を知ったら、どこの芸術家も頑張ってるんだから、みんな高い評価をしてもらえるよ。」
ミルクティーを1口飲む。
何とか落ち着いてきて、考える余裕が生まれた。
「芸術って、スポーツみたいな勝敗より表現だもんね。」
「そうそう。だからさ、同じだと思うの。」
「…うん?」
凛とした彼女の目と、私の腫れた目が合う。
「人間も、芸術。表現なんだよ。
言葉は表現における方法の一種であって、全てじゃない。
それ自体には誰に優劣もつけられない。
合わないものは対立しちゃうから離れた方がいいし。ちょうど、印象派写実派〜みたいにさ!」
そう言って、いつかの日とよく似た、明るい、あの少女の笑みを浮かべた。
「…そう、だね。」
本当に、眩しい。
少し軽くなった財布が入ったかばんを投げ捨てた。
久しぶりの我が家は暗くて、荒れてて、落ち着く。
「…はぁ。」
彼女は私の本性を知っている。
でも、それだって全てじゃない。
私はあなたの隣に並ぶことをやめた。
…いつからだったか。きっと、知らない。
高校生の時は、隣の席に座って話せていたあなたと、もう随分対面でしか話していない。
でもきっと、そういう距離感を意図的にとっていることは知らない。
窓の向こうに手をかざした。
月が隠れた。
――▇▇▇▇。