つれづれ
車窓から覗く、トンネルの向こうに、無限に世界が広がっている気がした。
時刻は20時。こんな時間に家でもホテルでも無いところにいるのは、花火大会とか晩御飯を友達の家で食べた時とかそのくらい。
時折街灯が顔を出して、今は外を走ってるんだなんて当たり前を確認して、車窓に映る自分のやけに姿勢が悪いのを気にしては、吐きそうになってまた猫背になる。
不安もストレスも喉とか胃にくるタイプで、今日だって家族も詳しい人もいないのにちゃんと電車に乗れるか不安で不安で仕方なかった。
それはそれは、ひとつの食べ物も喉を通らないくらいには。
知っている所へ向かうはずの電車で、知らない街並みを見て、どこに行くんだろうなんて漠然と思えるくらいには、マシになったはずなのだ。
それでも、まだちょっと具合が悪いんだけれど。
おそらく今日の帰路の半分くらい。停車した駅は見知った名前だけれど、1人で出歩くほどではない町だ。お行儀よく並ぶ枕木を見ていると、海に沈む線路を思い出した。
前も、電車と人生を重ねた気がした。
その時はちょうど、レールに乗っかって進んできただけだとか話した。多分、三年前のことだ。
神様が死ぬまでの運命を全て決めているなら、それはきっと人間にとって都合のいい言い訳なんだと思った。自分が頑張らないのも、きっと神様が決めたことだと、そう言って逃げる人がいそうな気がした。
レールに乗っかって進むというのは、ただ神様の決めた運命をまわるのとは訳が違う。ちゃんとメンテナンスしなきゃいけないし、進む速度を決めるのは自分だ。たとえ寿命が決まっていても、歩む速度を決めるのも歩みを止めるのもきっと自分だ。そうでなければ、この生には、全く意味が無い気がする。
ここまで書いて、私は安心した。
人間って変わらないんだと思った。
変わらない自分が嫌にもなった。
それでも、まだ私には私自身が憧れる感性が残っているんだと、それに縋りたくなった。
トンネルの明かりが通り過ぎるのが、ストロボみたいで目を逸らした。その先には、いつかの実験をしていた自分がいるのかもしれないとも思った。
それとも、お化け退治でもしてくれるだろうか。
車窓の奥に、明かりが写った。目で追いかけて、それが反対の窓から入ってきた街灯の明かりだと気づいた。
自分には何も無い、とでも言うつもりだろう。
心が苦しい、と率直に思った。
昨日の恋バナかもしれないし、酔ったのかもしれないし、原因の特定は出来ないけれど。
鳥肌が立って、身震いをした。もう10時間くらい何も食べていないけれど、不思議とお腹は空いていない。
車窓の向こうは石か木か。ともかく山間を進んでいることは確かだった。
どれもこれも乗り物酔いってことにして、隣を走る車を横目に腕を組んだ。