本を読む理由
「好きだから」というのは大前提で、
それ以外の理由もあるかな……と考えたので
思いつくままに書き綴っていこうと思います☁️
(※ちなみに私は、小説をメインに読んでいます)
私にとって本は、私の不足を補って、現実を生きやすくしてくれる、大切な存在です📖
・想像力を培うため
本を読むことで、「想像力」を鍛えています。
(どうしてそういう行動になるのだろう)
(あの人はどう思うのだろう)
(なぜこの人達は仲良くできないのだろう)
物語を読みながら、色んなことを考えます。
そもそも読書というもの自体が、
活字で描かれた世界を自分で引き取って、
自分の中で構築して、物語をなぞっていくことになるので
想像力が鍵となる行為だと思いますが……
それ以上に、人の関係と感情について、
想像を巡らすことが多いです。
思っているだけじゃ伝わらなくて
聞いてみなくては真意にたどり着けないことも多くて
人間関係って難しいなと感じます💭
そういう時、私は想像力に頼っています。
相手が思っていることを想像したり
どうしてそう振る舞うか考えてみたり
自分の言動がどう受け止められるか想像したり
そんなことを繰り返して
誤解や摩擦の少ない、良好な関係を築こうとしています。
……そして、なにか上手くいかなかった理由が
「自分の想像力が足りないから」だった時、
ひどく落ち込みます。
それを避けるためにも、本を読んでいます。
相手を傷つけない物言いを褒められることも
しばしばありますが、それはひとえに、
読書で補った想像力のおかげかなと思っています💮
・理解力をつけるため
繰り返しになりますが読書というのは、
作者の言葉を自分の中に取り込んで
その言葉や文脈を頼りに、自分なりに世界観を構築して
物語の展開を再現する……という行為が求められると思います。
(上に書いた『想像力』と重なるものです)
自分の中にないもの(世界観や語彙や価値観)を
一旦自分の中に取り込んで、
素直にそれを組み立ててみる。
こういう過程の中で、理解力が身につく感じがします。
自分の中に無いものを、自分のものにするのは難しいですし
自分の中にあるものだけで物事を考えると、
時に行き詰まることもあります。
だから、読書という行為を通して、
「自分の中に無いものを取り込む練習」や
「自分の中にあるものを増やす」ということをして
相手の価値観や考えを受け止めるのに役立てたり
自分の悩みを解消するようにしたりしています。
・表現力を補うため
そっか、そういう言い方があるんだ……と
読書して学ぶことがよくあります📖
語彙はもちろんのこと、
表現そのものに学ぶこともあります。
(これだけでも十分に伝わるんだ)
(これが無いと意味が変わっちゃうんだ)
などなど。
意思疎通のために使われる、便利な道具である「言葉」を
より上手に使いこなしたいという気持ちが
おそらく、人よりも強いのだと思います。
相手との関係を大切に築きたいから、
コミュニケーションに重きを置いていて、
だからこそ、「言葉」の扱いも蔑ろにできないのです。
言葉で出来上がる世界に身を投じることで
言葉の働きを学んでいます。
・現実から離れるため
周りからは、現実逃避とも言われますが、
私は逃避と位置づけてはいません。
現実と向き合うために、一旦離れているのです。
辛い時に、自分主体ではない世界に入り込んでみて
様々な出来事や感情を、無責任に体験して。
気が済んで現実に向き合った時に、
現実が想像するほど厳しくない……ということもあります。
デザインに関わる仕事を少ししていますが、
自分が作ったものを、少し時間を置いてから見ると
受ける印象が全然違うことがあります。
改善のアイディアが浮かぶこともあります。
一旦物語に没頭したあとで現実と向き合う時も
なんとなく、それと似た感じがします。
現実でしんどい時、渦中にいることで疲れは溜まる一方で、
切り捨てていいはずの記憶や感情もずるずると引きずって、
現実に立ち向かえるとは、到底思えない状態になります。
そういう時に私は一旦、真剣に物語に向き合ったあとに
現実に戻ってくるようにします。
そして、「私は何をしなきゃいけなかったっけ」と
状況整理を始めます。すると、現実に向き合うのに、
今何が必要なのかがはっきりと分かるようになります。
……正直なところ、それは読書じゃなくても
いいのかもしれません。
何かほかの趣味に没頭しても、同じかもしれません。
でも、読書だからこそ、と思えるものもあります。
それは「たとえフィクションでも、様々な人生を見ている」
ということです。
自分の人生は一度きりでも、他の人の人生を
自分の事のように体験してきています。
そこで得た知見が、現実に立ち向かう鍵になることも
しばしばあります。
偶然、現実から離れるための読書が、自分に深く刺さり、
その刺激のおかげで現実の打開策を
思い浮かぶこともあります。
読書を趣味として生きてきて、
物語と現実の行き来のおかげで
ここまできたと言っても過言ではないのです。
・物語を心に蓄積させるため
ひとつ前のものと少し重なりますが、
その物語を読んだという事実だけで、
未来の自分の心を支えることがあります。
本を読むことすら出来ないくらい
疲れたり落ち込んだりしていても、
読んだ物語を思い返すことならできます。
自分と似た立場の登場人物が、
それでもなんとか這い上がった話だとか
どうやって気持ちに折り合いをつけていたのかだとか
そういうものを思い返して、自分の現状と重ねて、
「私もなんとかなる」と言い聞かせることがあります。
辛い時や悲しい時に、自分に合った本を読み返して
自分を励ませるのが望ましいですが
そうならなかった時でも、物語は力を発揮すると思います。
一度読んだ物語も、ふとした時に役に立つのです。
(役に立つかどうかの物差しで、創作物を見たくないですが……)
そして、そういう時に自分の引き出しにある物語は
多ければ多いほど、より自分に合った物語を
思い出せるのではないかと思います。
だからこそ、なるべく多くの物語に触れたい……
心に物語のストックを沢山用意したい……
そんな意図があったりします。
このことについては別で記事を書いたので
ここで記すのはここまでとします。
「想像力」を鍛えて
「理解力」を培って
「表現力」を身につけて
現実と向き合うために「現実から離れ」て
心に「物語を蓄積」して
それでどうしたいのか。
答えはとてもシンプルで
「人を傷つけず、むしろ優しく接したい」
というところであって、もう少し突き詰めると
「人にも自分にも優しく生きていきたい」のです。
人とどうやって接していくのか?
自分とどう向き合っていくのか?
人生をどう歩いていくのか?
そのヒントをくれるのは
私にとっては、本だったのです。
そしてきっとこの先も
本が私を支えるのだと思っています。
追記:読書にまつわる2つの誤解の解消
本好きの私に対するよくある誤解を、
2つだけ解消したいと思います。
本好きの方ならあるあると共感してくれるかもしれませんし
案外私だけなのかもしれません。
職場や友人からよく言われがちなので
そのもやもやの解消として。
①本を読んでいるから賢い
そんなことはないです。謙遜ではなくて。
本当に、本をよく読む賢い人もいるでしょうが、
私は該当しません。
もちろん、本を読んで得る知識はあります。
でもそれを人に語り聞かせることはありませんし
あくまでも自分の中におさめて、自分のために活用します。
必要な時は、人に伝えることもありますが
基本的に、本で得た知識を人に言うことは避けています。
相手が求めていないなら、余計なお世話ですし
本からの受け売りを、自分の知識の提供と
誤認するようになったら嫌だなぁと思うからです。
本を読んで身についた語彙や知識もあると思いますが、
私の場合は微々たるものだと思うのです💭
②本を読んでいて偉い
物差しは人それぞれで、そう思う人もいるのだと思います。
ただ私は、その評価に頷くことはできません。
「本読んで偉いね。私なんて◯◯ばかり読んで(見て)るよ」
そんな話をされたことは数え切れないほどあります。
でも、そうとは限らない、と思うのです。
たとえば私は、動画を見るのがさほど得意ではありません。
映画はほんの少し、ドラマは相当なことがなければ
見ることができません。
(見続けられない、と言う方が誤解は無いかもしれません)
それから、オーディオブックもあまり相性は良くないです。
きっと私は話の展開を受動的に見るのが
得意ではないのだと思います。
自分のペースで、展開を追いかけたいのです。
ホラーやミステリーの耐性は無いに等しいのですが、
辛うじて本だったら耐えられることもあります。
映像が与える衝撃の強さに耐えられないのだと思います。
自分の想像力で描く範囲ならある程度耐えられる……
そういうことなのではないかと思っています。
そして最初から最後まで見続ける・聞き続けることが苦手で
読書も途中で辞めて、気まぐれで再開します。
自分のペースで進められるから、私には読書が合っている、
……それだけのことなのだと思います。
今の時代、各々が自分に合ったスタイルで
エンターテインメントを楽しんでいて、
それが私の場合は読書だ……というだけなので
本を読んで偉いね、は受け入れにくい評価になります。
読書に対して肯定的な評価があるのは嬉しいなと思いつつ
私には当てはまらないものも多々あるので
一応それだけ追記として残しておきます。
私はカジュアルに読書をしている層なので
高尚な感想文なんかは書けませんが
好きを綴るのは大好きで大得意なので
この先ものんびりと読書をしながら
感想を記していきたいなと思っています☺️