夢は夜ひらく
もの凄い個人的なことを今夜表明しときます。
エヴァンゲリオンが大嫌いだ、ということについて。
エヴァンゲリオンが大嫌いだと思って今年で25周年です。
マァ、意味はないのです。
思い出したから書いとこう、と。
あと、来年はむかついてから26周年です。みんな好きにしれー。
今は昔。
よのなかが騒ぐエヴァンゲリオンとはどんなん? と思ってテレビシリーズを通して観てみました。
今となってはゴクロウサンとしか言いようがない。
ぼくの体験では、庵野氏のベストの仕事は、風の谷のナウシカで「溶ける巨神兵」のシーンを描いたアニメーターの仕事です。
アレは見事でした。
エヴァンゲリオンへの違和感は、のっけから始まりました。
「残酷な天使のテーゼ」です。
そもそも残酷な天使のテーゼって、具体的に何ですか?
今、好感度の高いタレント風に言えば「ちょっと、ナニ言ってんだからわかんねぇ」って奴ですよ。
テレビアニメの主題歌ってえのは「ナニも言ってねえ」って珍しくないんですけど、あれだけ「何か意味ありげで全く意味がない」ってえのは、むしろ爽快なぐらいカラッポでした。
まさに「かっこまんてん、なかみれいてん」の定番ソング、ですよ、もう。
イントロはともかく、話にはなんかあるべや? と思ったら見事に裏切られたのでした。
神は細部に宿るという言葉がありますが、それは「細部しかない」という意味ではないと思われ。
神は細部に宿るというのは、豊かな内実というものが担保されてはじめて言えることです。
ところがエヴァンゲリオンは「ディテールを再現する」という欲求ばかりハナについたのでした。
それも市川崑とか実相寺昭雄のやったウルトラセブンとか。
ユーチューブの「歌ってみた」とか「踊ってみた」とかと変わんねぇな、と。それをヒトのカネでやってみた、と。
いわば、コスプレですわ。コスプレという言葉が悪ければ、イメクラですわ。
意味ありげにぶちまけられた聖書の暗号とか死海文書の引用は観てて「あ、回収する気全くナシだね」ってオラ程度でも分かりました。
これはもう演出以前の「フンイキのサンプリング」でして。
あの当時、エヴァンゲリオンに踊らされたひとたちが、スタジオボイスの読含め、もの凄いたくさんいましたけどね。
そういうヒトたちは先行する「イデオン」とか「ダンバイン」というものがあったことを知らないヒトたちなんだな、と受け止めておりました。
エヴァンゲリオンのファンという方々の庵野崇拝ぶりも無邪気ですわ、全く!
アニメーションは基本的にひとりじゃ作れないンですよ。
アレです、なんでもかんでも庵野氏の手柄! ってなるの、どうなんだろう?
実際、美術だってキャラクターとかメカニックだって庵野氏の仕事じゃねえものであのアニメーションは出来ております。脚本を全部書いたわけでも、ない。
「逃げちゃダメだ!」とノイローゼのように繰り返す主人公を見てて「前向きだ」と思うヒトまでいる! というのにもドギモ抜かれましたヨ。
あの場合「逃げたくて逃げたくてしかたがない」っていう悲鳴だと思うのですけどね。
邦楽ロックの世界では「オモチャ箱をひっくり返したようなバラエティー豊かなアルバムになりました」とインタビューで語られるということは、まず確実にクソつまらないレゲエの曲が収録されていることに他ならないという法則があります。
そういう意味でエヴァンゲリオンは、オモチャ箱をひっくり返したようなアニメーションでした。
死海文書とか人類補完計画は言うに及ばず、美少女 狙撃 総力戦 特攻 自己承認欲求、果てには地上波でBLをおおっぴらにやらかしてましたけどね。
竹内文書まであと一歩だ。
「やー、無邪気なモンだねえ! すげえ!」と思いました。
うわ、なりふり構わない。うわー、プライドが無ぇことおびただしい!
酷い環境に生まれアダルトチルドレンとして育ったオラの矜持は「自分に同情しない」なんですけどね、そこらへん、エヴァンゲリオンはダダ漏れですよ。
エヴァンゲリオンでも素晴らしい回はあったんですよ。個人的には18話。でも、それ以外はだいたい呆れちゃったの。
で、いわくつきの最終話。
「アニメがすきなひと」が喰い付いちまうようなエサをドバドバアニメファンの海に撒いて、散々惹きつけといたあげく! 庵野氏が「アニメファン大っ嫌い!」ってイヤミが言いたかったんじゃなかろうか?
というのが最終話まで付き合ってみた感想でした。
こちとらアニメファン、ではないので、そんなイヤミを投げつけられても「知るかばかやろう!」に尽きるンですわ。
本当、最終回まで付き合っちゃったのがゴクロウサンでした。
ソコ、あんまりハズレてないと思います。
アレが祝福? はァ?
すくなくともエヴァンゲリオンは悪意に裏打ちされていると思います。
ファンのために! なんて作ってないでしょ、アレ。
エヴァ最高! いうヒトはイデオン観てくれ! と切に願う。なんなら、逆襲のシャアでいいから観て考えて欲しいんですよ。
シャア アズナブルのモビルスーツって紅いよねーってネタのレベルじゃなくてさ! シャアというひとが「重量の井戸」というものを憎悪したこととか、考えようよ!
個人的に、エヴァンゲリオンは「不健康ブリッコ」ということに尽きるのです。
不健康なテレビシリーズがあったってかまやしないのだけど。
生き延びてこます! という意志があそこにあったか? アレは自家中毒じゃなかったか?
最後に'95年という年を振り返って。制服の袖をまくって、エリアシだけを伸ばして、あろうことか伸ばしたエリアシでチョンマゲにしてるようなセンス全滅なひとなんて、'95年当時でもプロレスラーぐらいしか居ないという状況だったんですよ!
それがアニメの登場人物ならサラっと許してしまえるなんて現象!
よのなかはどんだけアニメーションを甘やかしてんだよ! と思いました。
実生活ではまず見たことがない、「あんな喋りかたの奴、見たことねえ!」「そんな奴いねえよ!」ってキャラクターを許しているのはアニメーションとアダルトビデオだけ! です。
それがいかにアニメーションをダメにするか? 自殺行為、だよなあと思っております。
アニメだからそういうモンでしょなんてとこから始まる視線は、ヤなもんだなあ。
そもそも、逃走するなら、ちゃんとふりきってくんな、と。
人類に課せられた役割は限界を更新していくことと思います。すくなくとも、縮まりこむことを肯定することでは、ないっ!
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