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終わらないうた

「疑問」、疑問を持つ力がたいせつだ。
当たり前のことを問い直す。「当たり前」のことにひっかかるお前、なんなの? という視線を振り切って納得いかないことを納得しない。

10年前の「当たり前」は今の「当たり前」ではない。
永遠のものなんかない。

そういう態度をぼくは哲学と考えている。「止揚」とかそういう言葉を量産することじゃない。哲学とは態度の話だ。

絵ぇを描かないひとにはわからないかもしれないけど、絵ぇってのは「どう描くか」というテクニックの話、ではない。
テクニックは練習すれば身につくことです。そんなたいしたことじゃない。むしろ身につけずにおれない、ことだ。
絵ぇってなあ「どう見えているのか」にかかっている。それで絵ぇの8割方キマる。

ぼくはともだちに「アレの持論は特殊だから」言われましたけどね、そんなに特殊だと思ったことが、ない。
なにしろぼくの知ってる世界で触れられる生はぼくだけであり、この世界はぼくが死んだら、終わる。

だから特殊なのはあンた達の方だ! とよく思う。けど、かまってらんねえ。

「解放」だよ、それがささやかなにんげんの役割。前の時代の囚われを裏切りどこまで自分を投げ出せるか? そのばくちができなきゃ、人間失格やん。

自分なくし。自分を探さないとわからないってことは鈍感だってことだ。自分をわからなくて、かまわない。

ぼくを「一匹オオカミ」だと思ってくれてたともだちに感謝しつつ、そんなことはないと思う。
ぼくは裏切りがすきですゆえ。

今年の大河で明智十兵衛光秀が何を裏切り、何を裏切らないのかを楽しみにしている。

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