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エッセイ「拝啓中学一年生の自分へ、二十五歳になりました。生きてます。」
横に広がる蛍光灯が天井を照らしている。病室のベッドから見える廊下は緑色をしていて、怖い。ずっとこのまま一人なんじゃないかと、ずっとこのまま夜が明けないんじゃないかと、そう思った。
側弯症で中学一年生の時に入院した。先天性だった。生まれつき背骨が曲がる歩き方をしていたらしい。小学六年生の卒業前に、手術が決まったときは愕然としたことを覚えている。小さいころから、とことん恵まれていなかった自分。
武蔵村山の病院に、側弯症の名医がいるらしいと、僕たちの家族はさいたま市から一時間半ぐらいかけて病院に通った。小児医療センターは岩槻にあった。母はいつも車で連れて行ってくれた。僕は生まれつき、末梢神経の難病を持っていて、足に障害を抱えていた。その関係で、背骨が曲がって側弯症になった。
武蔵村山の病院。古びた病院に潔癖症の僕は真っ先にベッドが汚くないか気になった。階段に近くに会った自販機で、アクエリアスを買ったっけな。
診察室に通されて、サンタクロースみたいなじいちゃん先生が開口一番に「大丈夫、安心しなさい、絶対に成功するから」と言ってくれたことを今でも覚えている。側弯症の手術をしている中では、確か日本一だったらしい。こんなに頼りになる人はいないと思った。大きな愛で、そして確かな技術で、僕の心を包んでくれた。でもそん時の僕は、なんも分からないまま、笑っていた気がする。
背中にチタンを入れるらしいと聞いた。チタンってなんだ、鉄かなんかか。何でもいいけど手術怖いな。嫌だな。小学六年生か中学一年生か忘れたけどそのぐらいだった僕は、手術の日が来ることを心の底から拒んでいた。
でも、人生は待ってくれない。あっという間に手術日三日前に病室に入院させられ、当日に朝になった。担架で運ばれながら、泣いたことを覚えている。
今から死ぬんだと思った。人生はこれで終わりなんだと思った。母は大丈夫と言ってくれた。実際には全然大丈夫だったし、死ななかった。麻酔のマスクをかぶせられて、次の瞬間、起きたら手術が終わっていた。
小さく握られていた手の温もりを覚えている。母と父が心配そうにベッドの上の僕を覗き込んでいたことを覚えている。頑張ったらしく、父親はなぜか頑張ったなと声をかけてくれた。頑張ったのはサンタクロースのじいちゃんなのに、と思った。でも、体は鉛のように動かなかった。背中にチタンが入っているから。サイボーグ人間になったらしい。少し光栄だった。
そういえば、側弯症の入院中に、高校生のお兄ちゃんと同じ病室になった。元気しているかな。何してるのかな。僕よりも重い病気で、体が上手く動かなかったのに、テニスをしているらしかった。僕も高校に上がってテニスを始めたんだ。この文章がどこからか、届いているといいな。
麻酔で意識が朦朧としていたことを覚えている。叫んでいたことも覚えている。その時から僕は意志が強かったらしい。勉強が好きだったから、第一志望の高校を叫んでいたらしい。中学一年生ながらに、志望校があるなんて、偉いぞ俺。叔母からはかっこよかったよと言われた。
リハビリはそんなにきつくなかった。というか、あんまり痛くはなかった。塾の友達と電話したりもした。携帯電話も買ってもらった。入院を口実にして買ってもらった。アイフォンが出てきて間もないときだった気がする。
サンタクロースのじいちゃんは、今も生きているのかな。今僕は元気ですよと伝えたい。あのとき、手術のことがあまり怖くなかったのも、サンタクロースのじいちゃんのおかげなんだよな。いまさらながらありがとう。
母は武蔵村山の病院に一時間半ぐらいかけて、ほぼ毎日来てくれた。今思えば、それも当たり前じゃなかったんだなって思う。
今思えば、人生の一部だった手術。こうして文章にしなかったら、消えてなくなっていた事実かもしれない。過去も未来も体験できないし、今しか認識できない僕たちは、なんだか寂しいなとも思ってしまう。
二十五歳になった。行きつけのヘッドスパでは、背中にチタンが入っているから優しくしてくれと言っている。鉄の棒が入っているから爺になっても背骨は曲がらないんだと友達に自慢している。最近は杖を買って、どこまでも出かけられるようになった。
生きていれば、色んな感情に出会う。時には晴れない日もある。というか、大体は晴れない日のほうが多い。世界を変えようとしても、意外と何も変わらない。それならばとことんサボってやろうと、毎日コンビニでトマトニンニクパスタを食べる毎日。昼ぐらいに起きて、夜の時間にちょっと小説を書いて、終わり。
もっと体が健常だったら、難病が無かったらと思うときもある。でも、きっとこの病気が無かったら、僕はこんなにいい人になっていない。人の痛みを分からないまま、人生が終わっていた。きっとこの人生が終わったら、他の人よりも何倍も自由が感じられる気がするんだと、日々自分を奮い立たせている。おい神様、そっちに行ったら思いっきり、野原を走り回らせてくれよ。
でも、こんな毎日でもいい。こんな毎日がいい。現在地だけ認識していればいい。小さな家で、静かに文章を書いて暮らしていれば、それでいい。波乱万丈な人生はもう飽きた。人生って長すぎる。
今でも病室のベッドから見える廊下の寂しさは覚えている。でも、あの時耐えてよかったな。命を投げ捨てないで良かったな。今僕は幸せなのかな。分からないけど、生きてる。生きたいから、生きてる。心から叫んで、生きてる。心の底から、生きてる。
拝啓中学一年生の自分へ、二十五歳になりました。生きてます。そっちは多分、おそらく僕の人生で一番きついところだと思います。でも、過ぎてしまえば忘れてしまうものです。大丈夫。サンタクロースのじいちゃんが何とかしてくれます。とりあえず言いたいこと言って、叫んでいれば大丈夫。
踏ん張って生きてください。あと十年ぐらい経ったら、やっと幸せな人生が待ってます。
長いって?そりゃ長いよ、人生だもん。
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