ベートーヴェン 月光ソナタ Op.27-2

この「月光ソナタ」は、「幻想曲風ソナタ」として1801年に、日ごとに悪化する難聴への絶望の中、ハイリゲンシュタットの遺書を書くことになる一年前に創作されたソナタです。
聴覚は、音楽家にとって他の人々よりもより一層完全でなければならない感覚であり、若いころのベートーヴェンは、専門の音楽畑の人々でも極く僅かの人しか持っていないような完璧な聴覚を所有していている、と自負していました。そのベートーヴェンにとってなにものにも代えがたい聴覚器官を喪いつつあったのです。『6年このかた、物の判断も出来ない医者達のために容態はかえって悪化し、症状は回復するだろうという気休めに欺かれながら1年1年と送るうちに、この状態が永続的な治る見込みのないものだ』、という見通しをベートーヴェン自身が抱かざるを得なくなった疾患が、彼に生きる希望を失わせたのです。
 このソナタは、ベートーヴェンの生徒、Giulietta Guicciardiのために作曲されました。彼は1800年ごろGiuliettaと、Brunswik一家の紹介で知り合い、彼女に強く惹かれていましたが、その彼女は1803年von Gallenberg 伯爵と結婚し、イタリアに旅立ちます。
 Beethovenの本質は、人との社交の愉しみを受け入れる感受性を持ち、物事に熱しやすく、感激しやすい性質でした。ところが、難聴を人に気取られない為に、人との交わりを避け、自分ひとりで孤独のうちに生活を送らざるをえなくなったのです。
この「月光ソナタ」も、彼自身の悲しい思いが描かれています。難聴を自覚するために、Giulietta への恋愛感情を、あきらめと共にはじめ、途中に楽しかった思い出(2楽章)もあるものの、ハッピーエンドには終わりそうもない結末、を描いています。この曲には、さまざまな解釈があります。例えば、シューベルトの「鳩のあいさつ」の作詞者、Rellstabのルツェルン湖上の小舟に月の光に照らされながら1人で悲しげに乗っている、というセンチメンタルな解釈、或いは、リストの二つの奈落(1楽章は親友の棺、3楽章は燃え滾る溶岩の奔流)の間の(2楽章)花、という解釈。ただ、「ファンタジー」という表題は、非音楽的な解釈をするとおかしな解釈に導かれてしまうので、「幻想曲のように」と、あくまでも、音楽的な意味として捉えた方がいいでしょう。

1楽章
ペダルは前向きに、3連8分音符は遅れ気味です。普通、ソナタ形式では、提示部ではなくて、展開部で転調が多いのですが、この「月光」ソナタは、提示部に転調が多く、展開部、再現部にはあまりみられません。このことは、この曲があらかじめ恋のResignationあきらめ、を表現しているため、ともいえます。静けさの中で解消されない対立を、増の和音や減7の和音を頻繁に使うことで表し、暗い色調で、ベートーヴェンのギウレッタへの「恋愛感情」から生じる不安や葛藤が表現されています。バスは、シャコンヌの趣があります。

2楽章  
1楽章がAdagioであるのと対照的に2楽章はAllegrettoで明るい雰囲気を出しています。そして、主調、変ニ長調のサブドミナントの和音から始めることで、穏やかな雰囲気を出しています。つまりそうすることで、Des Durが突然やってくるのではなくて、ゆっくり、マイルドにやってくるのです。二楽章の世界はユートピア、楽しい思い出です。つまり、Cis moll(嬰ハ短調)の「現実の世界」に対する、Des Dur(変ニ長調)の「夢の世界」です。この曲は、ピアノ曲ではなく、弦楽四重奏のように各声部を歌って弾くべきです。ピアニストは、上の3声部をまず練習し、それにチェロを付け加えてください

3楽章
1楽章のような柔らかなAdagio Sostenuto、3連音符の雰囲気ではなくて、Presto Agitatoで高揚した気分が16分音符の情熱的な反抗の嵐として表出されています。フェルマータでその動きは中断されますが、その境界を迫力で突進してしまいます。1,2楽章のような響きの対比ではなくて、響きのつながりが考慮されます。そして、突然雰囲気が変化します。その曲想を表現するためには、このアルペジオをハノンの練習のように、単調にあるいは、スポーツ選手のように弾くのはなくて、1楽章の伴奏を含めた最初の部分を思い浮かべて弾かなければなりません。また、9小節目は、1楽章の25小節目の変奏、と捉えることもできます。14小節目のフェルマータは、弛緩ではなくて、クレッシェンドの色彩が強い。第2テーマも、1楽章の25小節目の変奏です。第一テーマがフィギュアとアクセントからでき、直線的であるのに対して、第2テーマは流れるような歌の要素から始まりますが、様々な抵抗にあい、和音とフィギュアで終わります。
 終結部は、永続する和音の繰り返しです。これは第2テーマの21-25小節からとられていて、Gis moll(嬰ト短調)のトニカとドミナンテからできています。また、諦念の動機(T58)も現れています。
 展開部は、第2テーマが大きな役割を担っています。はじめは、cis moll(嬰ハ短調)の平行調fis moll(嬰ヘ短調)から始まり、次にGDur(ト長調)で、場所も、3オクターブ下降する。そして、cis moll, fis moll, gis mollのドミナンテブロックを作ります。そして、問いになだれ込み、「この恋愛は、成就するのか。」という問いが3回繰り返され、全音符の小節の2小節が、疲れ切った最後の問いを発します。
 答えは、再現部にあるはずですが、はっきりとした答えは再現部に見出されません。コーダにもみあたりません。アルペジオはあるのですが、それだけです。ただ、この「月光ソナタ」に後期のソナタ、「ハンマークラビアのフーガ」のようなあきらめはありません。
「すべて失ってしまった。」というあきらめの感情はなく、最後まで、超自然的な相手にも、不可能な相手にも、目的を定めて挑み続けるのです。そこに「難聴」であるというハンデイと屈辱を跳ね返し、作曲家として「人類愛と善行の精神に満ち溢れた」音楽作品を生み出そうとした、ベートーヴェンの真髄があります。神に頼るのではなく、「おお、人間よ、自らを助けよ。」と努力する若いベートーヴェンの「意志の力強さ」があります。そこに、「月光ソナタ」の魅力があり、私たちみんなへの啓示があります。
ゲーテにAn den Mond「月に寄す」という詩があります。1777年に作られ、1789に出版されたゲーテの抒情詩中の最高傑作、と言われる作品で、シューベルトが曲をつけています。私が大好きなドイツリートの一つなのですが、その詩の中に月と共に、ゲーテを見守っている人妻シュタイン夫人の面影も投影されています。ゲーテを敬愛していたベートーヴェンですから、きっとこの詩を熟知し、インスピレーションを得て、月とギウリエッタの面影を投影させたソナタ「月光」、幻想曲風、が作曲されたのだと私は解釈しています。

参考:Jurgen Uhde, Beethovens Klaviermusik, Philipp Reklam Jun. Stuttgart

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