見出し画像

奥尻航路からのピンチヒッター?『第二大函丸』

『第二大函丸』は、1965年(昭和40)東日本フェリーの大間~函館航路に就航。1971年(昭和46)に道南海運へ売船され、1972年(昭和47)2月より運航会社が従来の道南海運より東日本海フェリーに代わります。『第二大函丸』は1972年(昭和47)5月より奥尻~江差航路に就航します。

利礼航路には、”代船”として一定期間就航していた可能性があります。それとも、観光客の急増に対応する為のピンチヒッターだったのでしょうか。
残念ながら『第二大函丸』が利礼航路にて運航するに至った資料がありません。

稚内港(写真)での運航時も改造前であり''箱型船首''でした。
退役後は、青森県の建設業者「高重組」に売却されます。

TAIKAN MARU No.2(改造後)

第二大函丸
■総トン数 483トン
■馬力 1200馬力
■全長 48.35m
■最大速力 14.45ノット
■旅客定員 331名
■就航 1972年(昭和47)5月※江差~奥尻航路
■改造 1972年(昭和47)12月 ※箱型船首を改造
■退役 1983年(昭和58)11月

改造前(船首が箱型)の「第二大函丸」/大間港(青森県) 写真出典 画像掲示板
改造前(船首が箱型)の「第二大函丸」/大間港(青森県) 写真出典 画像掲示板
改造前の「第二大函丸」/奥尻島奥尻港 写真出典:広報おくしり
改造前の「箱型船首」で航行する「第二大函丸」/稚内港
車両甲板から乗船する観光客/稚内港
大きなリュックを背負った人が目立つ乗船風景/稚内港
オートバイの積載は最後のようだ/稚内港
「第二大函丸」の車両積載風景と着岸直前の「第三利礼丸」/稚内港
出航間際の「第二大函丸」/稚内港
「第二大函丸」には舷側(船体横側)に乗船口はなかった。そのために車両甲板からの乗船となっていたようだ。
稚内港を出航する「第二大函丸」
利尻島鴛泊港

Episode
#1
1972(昭和47)5月より奥尻~江差航路に就航した「第二大函丸」は、奥尻島民にとって、かなり不評でした。おそらく箱型の船首でスピードもでなかったのか。そこで運航会社(東日本海フェリー)と島民代表との間で懇談会が開催されたと当時の「広報おくしり」(1972年/昭和47発行)に掲載されています。詳細は下記の添付写真をご参照ください。

#2
映画「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」(1980年公開)で寅さんが
奥尻島を訪れた際に乗船していたのが『第二大函丸』です。

広報おくしり(1972年発行 No.88号)
広報おくしり(1972年発行 No.88)

参考・引用文献
・ハートランドフェリー船舶表
・広報おくしり No.88
・画像掲示板


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?