奥尻航路からのピンチヒッター?『第二大函丸』
『第二大函丸』は、1965年(昭和40)東日本フェリーの大間~函館航路に就航。1971年(昭和46)に道南海運へ売船され、1972年(昭和47)2月より運航会社が従来の道南海運より東日本海フェリーに代わります。『第二大函丸』は1972年(昭和47)5月より奥尻~江差航路に就航します。
利礼航路には、”代船”として一定期間就航していた可能性があります。それとも、観光客の急増に対応する為のピンチヒッターだったのでしょうか。
残念ながら『第二大函丸』が利礼航路にて運航するに至った資料がありません。
稚内港(写真)での運航時も改造前であり''箱型船首''でした。
退役後は、青森県の建設業者「高重組」に売却されます。
Episode
#1
1972(昭和47)5月より奥尻~江差航路に就航した「第二大函丸」は、奥尻島民にとって、かなり不評でした。おそらく箱型の船首でスピードもでなかったのか。そこで運航会社(東日本海フェリー)と島民代表との間で懇談会が開催されたと当時の「広報おくしり」(1972年/昭和47発行)に掲載されています。詳細は下記の添付写真をご参照ください。
#2
映画「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」(1980年公開)で寅さんが
奥尻島を訪れた際に乗船していたのが『第二大函丸』です。
参考・引用文献
・ハートランドフェリー船舶表
・広報おくしり No.88
・画像掲示板
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?