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北の海の航跡をたどる〜小樽・利尻礼文(稚内)航路 編

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かつて小樽と利尻礼文は、隣町だった。 それを繋いだのは、船の道。江戸時代は北前船が昆布やニシン粕などの海産物を運び、近代になっては、島へ生活物資や移住者を運んだ。鉄道が北へ延びる…
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北の海の航跡をたどる〜『小樽・利尻礼文航路』 #9 航路開設108年の歴史に幕を引い…

1885年(明治18)、それまでの小樽〜増毛間の定期航路に補助航路として天売・焼尻島〜天塩〜鴛…

北の海の航跡をたどる〜『小樽・利尻礼文航路』 #8 ダウンサイジングされたカーフェ…

1982年(昭和57)8月、「おたる丸」(2代)が航路を離れると北海商船フェリーは、東日本海フェ…

北の海の航跡をたどる〜『小樽・利尻礼文航路』#7 期待を裏切られたカーフェリー『お…

島民期待の1000トン型フェリー 島民が望んだ航路の活性化と充実を図るために1981年(昭和56)…

北の海の航跡をたどる〜『小樽・利尻礼文航路』 #6 小さな船体で島民の生活安定に貢…

1976年(昭和51)12月、礼文島金田ノ岬で座礁した「新おたる丸」(446㌧)の事実上の代船とし…

北の海の航跡をたどる~『小樽・利尻礼文航路』 #5 突然の短期就航『第三利礼丸』

突然、「新おたる丸」が座礁したことで運航会社や地元は頭をかかえます。 約1カ月後、就航し…

北の海の航跡をたどる〜『小樽・利尻礼文航路』#4 冬の礼文島沖で座礁『新おたる丸』

1968年(昭和43)8月31日に『おたる丸』の後を引き継いだ『新おたる丸』が新潟で竣工します。 …

北の海の航跡をたどる~『小樽・利尻礼文航路』 #3 新造船おたる丸の就航

長年、島民に愛された『禮文丸』に代わり、航路としては、初めてとなる新造船『おたる丸』(初代・312㌧)が1956年(昭和31)に就航します。 島を支えた小樽・利礼航路 1964年(昭和39)5月、利尻町市街地の家々を焼き尽くした沓形大火では、小樽・利礼航路が物資輸送で町の復興を支えました。 また、かつては流氷によって稚内・利礼航路が欠航となることが多く、そのたびに小樽・利礼航路の存在がクローズアップされたといいます。 移動の足としては船が揺れて船酔いをするので敬遠され

北の海の航跡をだどる~『小樽・利尻礼文航路』 #2 北海商船による航路継承

小樽・利尻礼文航路は、1901年(明治34)の小樽の藤山海運が運航開始。道庁命令航路とし…

北の海の航跡をたどる〜『小樽・利尻礼文航路』 #1 航路の幕開け

1869年(明治2)、場所請負制の廃止によって運上屋の独占的な漁場支配が廃止されると一般漁民…