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渡辺京二「黒船前夜」━ロシア・アイヌ・日本の三国志(洋泉社)について

日本とロシアの関係は当時の北方領土の探検、アイヌとの交易、民族主義の芽生えから始まっている。年代でいうと1700年代。ロシアには漂流した日本人を教師にした日本語学校が開設されており、方や日本では仙台藩や蘭学者の間で北方脅威論が出始めていた。

日本人とアイヌの起源は同じ縄文人と言われているが、弥生時代に枝分かれした。大陸文化を取り込んで発展した今の日本人の原型は7~8世紀に出来たとしている。アイヌは縄文的性格をそのまま残して千島・樺太などへの交易の民となっていった。沖縄の琉球人の原型も縄文人であり、要は辺境の民が縄文の文化を色濃く残していったようだ。ちなみに、縄文人は古モンゴロイド、弥生人は新モンゴロイドと人種的には分類できるそうです。

江戸時代の北海道の南端には松前藩があったが、この藩の位置付けは他藩とはかなり違っていた。本土の大名からは蝦夷大王と揶揄されていたり、コメを作付けしていなかったため石高制がなく、要はアイヌと平和な共存をしながら交易・商売で成り立っていたらしい。色々なエピソードには、アイヌと松前人の豊かさ・のどかさが感じられて面白い。幕府と松前藩の関係も蝦夷地をめぐって紆余曲折があり、蝦夷地が幕府の直轄になるのは1855年、日米和親条約が締結されてからである。

アイヌ語と日本語の言葉の共通性も面白かった。アイヌの「カムイ」が進化してカミ、神になったとか、「ツグナイ」の語源はアイヌにあったとか。アイヌの風習で争いの負けを認めて差し出す宝物(人や毛皮・食料など)のことを「ツグナイ」と呼んでいたようです。

18世紀後半になると、松前藩に任せていたアイヌの管理に幕府が関与を強めてくる。ロシアも日本の漂流民を送り届けるという名目で交易や国交を求めて頻繁に来航する。有名な大黒屋光太夫や高田屋嘉兵衛、最上徳内、松平定信など聞いたことがある人物が登場してくると読み物として臨場感も出てくる。ロシア人もたくさん出てきていちいち覚えていられないが、覚えておくべき人は商人のレザーノフと海軍将校のクルーゼンシュテルンぐらいか。レザーノフは1799年に露米会社(ロシアとアメリカの合弁会社のように感じてややこしいが、オランダの東インド会社のような貿易会社)を設立し、北方の交易を独占。日本に対しても交易・国交の交渉を担っていく人物。このレザーノフが長崎に来航し幕府と交渉したがうまくいかず、失意のうちに帰国。その後、ペリーの砲艦外交を思わせる樺太・南千島の襲撃計画を立てたが1807年に死亡した。このあたりの経緯が一番読みごたえがある。その他、地図で有名な間宮林蔵、北海道の名付け親 松浦武四郎、荒尾成章、高橋三平重資など個性的な人物も登場し、個別に深堀しても面白い。

洋泉社は昨年宝島社に吸収合併されて今は無い(もともと子会社)。映画マニアに人気のある「映画秘宝」という雑誌を発行していたが、この雑誌は発行元を双葉社に移して今も発行されている。ちなみに「映画秘宝」は「中学生男子」感覚を爆発させた編集方針とあり、かなりマニアックな印象だが、ライターも充実しているようなので一度読んでみたい。

宝島社はファッションやムック本のイメージが強いが、社屋は皇居を眺めることができる場所(皇居の西側、半蔵門駅近く)にある。同じビルに日本カメラ博物館がある。ちなみに、この博物館の館長は元政治家の森山真弓になっている(カメラが趣味だったからか?)。





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