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犬へ

犬。元気ですか。
あなたが自由な身体になってからもう1ヶ月。
今あなたは何をしているのでしょうね。
わたし達人間はあなたの居ない日々を、何とか過ごしています。

あなたの魂が身体から離れた日は、残暑厳しいものの過ごしやすい日だったのを覚えています。
離れて住んでいたわたしは帰らなければ行けない用事があり、帰り際に荒い呼吸をしているあなたの頭を撫で、顔を寄せて、ぼろぼろと涙を零しながら「ありがとうね」と言葉をかけましたね。
癌になったあなたは辛い手術や点滴のための入院によってやせ細ったものの、王の名前に相応しい毛並みはずっとふわふわで、綺麗で、暖かくて、わたしを少しだけ安心させてくれました。

本音は、「まだ行かないで」「もっとそばにいて」と泣き喚きたかったのですが、それはあまりにも人間本位じゃないかと思いグッと堪え、ただあなたの頭を撫でていましたね。あなたはその頃、大好きだったささみも食べず牛乳も飲まず、けれどもただそこにいてくれました。きっと、まだ行かないで欲しいというわたし達家族の願いを叶えてくれていたのでしょう。あなたは本当にずっと人間思いの犬でしたね。

その前日、身体の力が入らないあなたを抱いて動物病院から帰ってきた際、庭を1周しましたね。
あなたは、動かないはずの身体を震わせ、可愛い鼻をふんふんとしてめいっぱい外の空気を吸っていました。お外大好きだもんね、と話しかけると、少しだけあなたの身体の緊張が解けたような気がしました。

あなたが旅立った時、とても穏やかだったと聞きました。声も出せない状況が続いていたけれど、最期に「わん!」とひと鳴きし、あなたの一生を終えたとも。寂しがり屋なお嬢様なあなたの事だから、「何泣いてるの、私は先にいくわ。またね。待ってるからね」なんて言ったのでしょうか。言っていたのなら嬉しいです。

癌のせいで血管がつまり、氷のように冷えた後ろ足を、お湯を入れたペットボトルにタオルを巻いて温めていた父は、しばらくあなたを温めて続けたと聞きました。

一番長い時間過ごした母は、犬の綺麗な毛を何度も何度も梳かし、ふわふわの頭を撫で続けたと聞きました。

わたしがあなたの元に駆けつけたとき、あなたは眠っているようでした。でも、

「眠っているみたいじゃん」

と言っても、あなたはぴくりとも動かないのです。
元気なころは、わたしが実家の玄関のドアを開けると、爪音をチャッチャと鳴らしながらお出迎えしてきてくれたのに。
その瞬間、あなたがもうここには居ないことを思い知ったのです。

あなたを送り出すための準備をしながら、わたしは努めて明るく振る舞いました。あなたを見ると泣いてしまうから見られないという父と、空っぽになってしまったような表情で泣き笑いする母。わたしまで泣いていたら、何かが壊れてしまいそうだったから。

あなたのために買ってきたお花を活け、最後のドライブのために犬用シートを車に取り付け、そんなことをしているうちにあなたを送り出す時間が来てしまいました。

あなたのためにお経を読んで貰っている最中、わたしはようやく声を殺して泣きました。あなたのことを思い出して。

中学の頃、旧友のお家にかわいいかわいい犬の赤ちゃんが産まれたとの事で、是非引き取りたいとお願いをしてあなたを見に行ったのを、今でも鮮明に思い出せます。
他の兄妹より体が一回りちいさく、頭から背中にかけて立派なたてがみ(つむじらしいのですが、わたし達はたてがみと読んでいました)があったあなた。
他の兄妹たちが母の元へよたよたと歩み寄る中、あなただけがわたしのところへもそもそと近寄り、指先をぺろんと舐めました。わたしはこの時、あなたと一緒に暮らして行きたいと思ったのです。

家中の家具という家具をかじり周り、ころころ走っていたのがしばらくするうちに弾丸みたいに走り回るようになっていきました。庭を狂ったようなスピードで走り回るあなたの動画を、今でも大事にとってあります。
近所の緑地を猟犬よろしくリード付きで走り回り、時々嬉しそうにこちらを見あげるあなたが可愛くて仕方ありませんでした。

それから、だんだんそのスピードが落ちてきて、お淑やかなレディになりましたね。
夜中に震え出したあなたを慌てて夜間緊急病院に連れていくと、太り過ぎですと言われダイエットしたり。一人暮らししたわたしが帰省すると毎回、口を的確に狙って、喉で呼吸出来ないようにしてきたり、お風呂上がりのわたしの腕や脚をべろべろ舐めてグルーミング(もしくは塩分補給かも)してくれたり。かぴかぴになった肌の感覚は、まだ思い出せそうな気がします。

それがここ数年、ゆっくりした移動になって、よたよたして、動けなくなってしまいましたね。

あなたも生きているのだから寿命があるということは理解していました。時々あなたのいない生活を想像して、足元がふらつくこともありました。
でも、理解していても落とし込むことはできませんでした。今でも理解できていません。だって実家に帰ると、まだあなたが玄関先で足元にじゃれついてくるような気がするのです。

そんなことを考えているうちに、お坊さんが丁寧に読んで下さっていたお経もおわり、とうとうお別れの時となりました。

あなたのお気に入りだったライオンのおもちゃ、あなたが好きだったご飯やささみ、あなたのイメージに合わせて繕って貰ったお花たちをあなたの周りに置くと、本当にあなたが亡くなってしまったのだな、と、思い知りました。

病気で一回り小さくなってしまったあなたはなんだか心細そうで、でも今にも起き上がって走り出しそうな、穏やかな顔をしていました。轟々と音を立てて燃え盛る炎を前に、わたしは何度も何度もあなたを撫で、行かないでと泣きじゃくりました。最期まで心配をかけてごめんなさい。あなたの妹分として、許してください。

本当に本当に、大事な家族。
もしわたしが死んだら迷わずあなたに会えるように、お手紙にわたしの髪の毛を入れて一緒にお別れしました。そっちに行ったらまた会いたいな。
会って、そのふわふわの頭を撫でて、匂いを嗅いで、大好きなささみを沢山食べている所を見たい。

でも、もし本当に願いが叶うなら、もういちどだけ会いたい。

なんて、一生メソメソしてそうな気がするので、たまに夢にでも出てきてください。また泣いてしまうかもしれないけど、その時はわたしの涙を不安事舐めとってやってください。

14年間ありがとう。
そっちでも元気に楽しく過ごしてね。

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