実家の保護犬の話をしよう
実家の保護犬、名前を「おむすび」と言う。
「おむすび」と呼ぶのは病院の先生だけで、我々家族は「むっちゃん」「むつこ」と呼ぶため、この記事には「むっちゃん」と書かせて頂く。
妹の成人式の前日の夜、駅から帰宅する妹に着いてフラフラと我が家までやってきた。見た目が真っ黒でそこそこ大きいので、怖いと思う人も多そうだが、家で中型犬をすでに14年程飼っていた妹は「めっちゃ可愛い犬がついてきた!」とご機嫌だった。
むっちゃんはぼろぼろの首輪をしていた。そして、ものすごく人懐っこかった。ぶんぶんと尻尾を振り、初対面にも関わらずおなかを見せ、どうにか家に入れてくれと懇願してきた。1月で外はとても寒いし、真っ暗な夜だし、家に入れてあげるという選択以外なかったが、先住犬がいたのでとりあえず玄関に入れリードで繋いだ。
明るい所で見ると体中にノミとダニがついていて、体はやせ細っていた。むっちゃんの血を吸って1㎝くらいに膨らんだ真っ赤なダニが目の横についていたのを、最初はダニだとわからなくて「大きなデキモノがあって痛そうだな」と思ったのを覚えている。
とても劣悪な環境で飼われていたのか、逃げてきた途中で過酷な旅をしていたのかがわからなかったので、ひとまず飼い主を探すことにした。保健所と警察に行き、捜索願が出ていないか、マイクロチップが入っていないかなどを確認。何日か待ったが、探している人は現れなかった。
病院に行ってノミダニ駆除をしてむっちゃんはどんどん元気になっていった。20kgくらいある大きな体で、私の膝によじ登り、猫のように丸くなって眠るようになった。自分のサイズ感をわかっていないが、とても可愛い。
そして、長い棒(傘を含む)をみたら異常に震え、怖がることに気付いた。よく考えたら、家に来てから粗相は絶対にせず、勝手に家にも上がらない、噛まない、吠えない、とてもマナーが出来た子だった。もしかしたら、棒で仕付けという名の虐待をされていた可能性があるかもしれないと思えてきた。
また、散歩が全く上手に出来ない子だった。喉がちぎれるほど首が閉まっているのに、人間と歩幅を合わせて歩くことが出来ない。リードに繋がれて散歩をしたことがない可能性が高かった。
警察に届けて出てから時間が経ち、正式にむっちゃんを我が家の一員にすることが出来るようになった。もう家族全員に迷いはなかった。
先住犬まろんとの相性がとても気になったが、むっちゃんはすぐにまろんのことを母のように慕った。初対面なのに、おなかの下にもぐり、乳を吸おうとするくらい、母犬への愛情にも飢えていた。そんなむっちゃんを、まろんも受け入れた。すこし認知症が始まっていたこともあり、あまりよく分かっていなかったのかもしれないが、受け入れてくれたような気がした。
結局1年後にまろんは腎臓病が悪化し亡くなってしまうが、いい後任を見つけたと思ってくれたのではないだろうか。まろんの最期の日は、妹は受験、父と母は仕事で、私一人が家にいたので、むっちゃんと共に看取った。むっちゃんがいてくれて本当に助かった。
まろんがいた時は、まろんにくっつき。まろんがいなくなってからは人間にくっつき。とにかく体の一部を誰かにくっつけていないと落ち着かないくらい甘えん坊のむっちゃん。
好奇心旺盛で、車も大好き。お出かけの時は「自分もつれていけ!」と必死に懇願してくる。キャンプにいったら一緒にテントに入り、自然の中で人間と一緒に昼寝をし、川遊びをし、BBQの残りを少し嬉しそうにもらう。
今は、私も妹も家を出たので、母と父の愛情を一心に受けるわがままな末っ子として、毎日をご機嫌に生きていらっしゃる。
夜になると、勝手に二階にあがり、私のシングルベッドを使ってあおむけで寝ているらしい。人間やん。そして、父と母が二階に上がってくると二人のベッドにいそいそと上り、2人と1匹で川の字で寝ているらしい。
むっちゃんは自分の人生(犬生)を、自分で変えたんだなと思うと、とても強い子だなと思う。決死の大脱走をはかったのか、たまたま逃げ出せたのかわからないが、きっと「このままは嫌だ」と思ったのだろう。
しかも、犬が大好きで、中型犬の扱いに慣れていて、自由に遊べる庭があり、家の中も(ベッドの上まで)自由に歩かせてもらえ、やんちゃなわんこの散歩にいく体力のある人間がいる家を、自分で選んだのだ。なんて運も持ち合わせている子なんだろう。
自分で縁を結びにきたので「おむすび」と名付けた。これからもその自分で結んだ縁に最大限あやかり、毎日楽しく生きて欲しい。年に1・2回しか会えなくなってしまったが、むっちゃんの幸せを心から祈っている。
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