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#25 怒ることの正体みつけた!!(前編)

今回、ほんとうにnoteに書き記したくて、
やって参りました!!

これまでは、「読まれても読まれなくても、
理解されてもされなくても、期待しない事を
自分に強いた」ところがあった。

でもこれからは、読んで貰えるように、
理解しやすいように、書き記せる人になりたい。

何故なら、私自身がとても開放されてるから。
この発見が、万人にとって「開放的な発見」なら
読まれた方が、伝わりやすい文章の方が、
良いに決まっている。
早速トライする、下記。

発見①【怒りの正体は混乱だ】

もう、1番言いたい事をココに持ってきた。
怒りだけでなく、哀しみや不安など、
負の感情すべてに言える。だが、
怒りは相手への攻撃、すなわち争いにつながる
ので、それを食い止める為に考えて、見つけた。

負の感情が生じるとき、
なんだかすぐには整理しがたい、不快感がある。
出来事に対しての、「混乱」がある。

どうして私は今傷ついている?
何故その言葉や危ないものを、当てられた?
見た目は真綿のようだが、何故私は苦痛なの?
なんでこんな不運や不遇が自分に?
大切なそれを奪われたのは、どうして?

混乱が自分のサイズの器から溢れたとき、
「この人のせいだ」と認識してしまったら、
感情は「怒り」という形をもち、また、
「誰のせいでもない」
「何のせいなのか、まったく見えてこない」
という時は、哀しみや不安になる。

怒りの時は能動、そうでない時は受動だ。
怒り側に傾くと、相手に怒りを投げる正当性を
速やかに幾つも掴んで、投げる。
受動的な場合は、体も心も動かなくなる。
どちらにせよ、負の感情を残したまま、
いつもの自分を続行するのは難しい。

ここで、はじまりに戻る。
負の感情は、出来事から内面に生じた「混乱」が溢れて、「負の感情がある」と認識する。
認識したならば、
怒るか、涙を流すか、そこを去るか、
その場に凍りついて震えるか、
とにかくその表現を発してしまうのが、自然だ。
自然であるのは良いこと。
何もないように振る舞えたり、
逆の感情や表情をつくれてしまうのは、
俳優を生業としない限りは、病の始まりだ。

ただ、その表現された負の感情が、
日付やカレンダーを変えても残るような、
大きなものであるときは、
「混乱」をひとつひとつ見つけて解く、
その必要がかならずある。たとえば

◎この行為をした者は、謝る事が当たり前、
   と学習してきたのに、それをされてない。

◎戦争で殺害するという、酷い事をしてるのに、
   「勝利」と思う人間がいる。

◎急に、わたしが存在していないような、
   振る舞いを受けた。

◎生きて行く為に欲求する物を、
   「求める権利がない」ように言われた。

まだまだ、もちろん挙げられる。
この世界には、「それらが無いのが当たり前」
というよりは、「それらをいかに受け入れて、
自分の精神的バランスを保つか」を
学習させられているかと思う。

沢山のお金や、毎日たのしく働くことや、
恋した人を、誰でも思うまま得るはずはない。

たまたま、この世界で誰ひとり
「わたしに関心を向けなかった」と感じる日くらい、誰にでもあるし、その日をつよく望む事すらあるのが、人生かと思う。

戦争が間近に起こらなければ、
そんなに怒りも沸かない事実だってある。

何か権限があったり無くとも、
謝らない人などは、数えきれない。

だが、これらの無数の混乱が、
おなじときに一度に身に降りかかれば、
その感情や出来事や正当性を、速やかに掴んで、
表現する事は自然なのだ。

何日、何ヶ月、何年と消えない感情なら、
混乱のもっと奥にあるものを探し出して、
自分でQ&Aを出す、それが必要。

私なら、こうだ。
「家庭内で虐げられたと感じる行為を受けた。 
   家族は家族に、最低限の誠意で接するものと
   信じて疑わない私がずっと居て、
   ずっと傷ついてきた。でも、
   家族がわたしへの誠意を、赤点の30点以下の
   分量しか与えられない現実があった。

   30点以下の誠意しかくれない人と、
   自分が関わっていられるか、
   そうしたいかどうかは、
   自分が決めていい。」

さて、発見①が長くなった。
発見②は【誠実さを測りながら生きる】だ。
それは(後編)に書き記したい。

#怒ること  #正体 #見つけた 
#怒り  #混乱 #負の感情

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