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フォロワーが1万人超えたら、自分というものが勝手に作りあげられてた

どうも、今日もお疲れ様です。
トランペット奏者のyukaです。

(こんな感じの挨拶からnoteを書くキャラじゃないんだけど、なんだか今日はそういう気分だった。)

さてさて、本文に入る。

最近、めっちゃ面白い本を見つけたんよ。
ツアー中にも関わらず、3日でゴリゴリと読み切った。
おもれぇ、、って何度1人でつぶやいたか分からない。

その本が、これである。

自分とか、ないから。


え?自分って、ないん?
そう本屋で立ち止まって、手に取ってしまった。
実は私、本屋に週1回通って、色々と物色するのが趣味。
ネットよりも、本屋が好き。
こういう変な本に出会えるから。(失礼やんけ!笑)

どうやら、この本、めちゃくちゃ売れてるらしい。
自分らしく、とか、
自分の好きなことで生きよう、とか
そんなことが"令和の生き方"になっているこの時代に、
今、若者にぶっ刺さってる本らしい。

もしかしたら、自分らしく、という言葉に悩んでる人が多いのかもしれない。
ちょっと前に流行った、ドリハラって概念とちょっと近いのかな。

一見、その人を肯定してそうな考え方だけど、
それは実は、フィクションらしい。

え?私らしく、ってフィクションなん?こわいっ。

詳しくは、この本をぜひ一度読んでみて欲しいんやけど、
この世の中は、全部フィクション、らしい。
えぇぇぇええ!?
いや、実在してますやん!!

まぁまぁ、落ち着いて、この本読んでみ!(山口の方言)
東洋哲学で、ブッダとか空海とか色んなおじいちゃん達が登場するんやけど、
めちゃくちゃ面白い。
深い。
深すぎて、意味が分からない。
けど、それが面白い。
影響されやすい私は、
今、完全に空海おじいちゃんが私の中でトレンド入りしている。

この世の中の悩み、全部悩みじゃないのかも。

そんな感覚になった。すごくない?

で、最近ちょっとした違和感を感じてた。
それが、このnoteの題名で書いたことなんだけど、
「インスタのフォロワーが1万人超えたら、自分というものが勝手に作りあげられてた」んよ。

最近、よく言われるのよ。
インスタ、みてます!
え、めっちゃ嬉しい。ありがとうございます。
(嬉しい。)

最近、よく言われるのよ。
トランペット、めちゃくちゃ上手いですね。
え、本当ですか?んー、上手いと言えば上手いかもしれないけど、上手くないと言えば上手くないかもしれない。
(実はちょっと違和感)

最近、よく言われるのよ。
yukaさんって、すごく努力家ですね。継続できる人って本当にすごいですよね。
あ、そうですか?
んー、続くものは続くんですけど、そんな立派な人間じゃないですよ。
音楽以外は結構、怠惰な人間です。割とラフっていうか。
(なんか違和感かもなぁ。)

最近、よく言われるのよ。
yukaさんって、めっちゃオシャレですね。なんかもう優雅な生活で、完全に出来る女って感じです。
え?まじっすか?
全然おしゃれじゃないですし、ただ朝にコーヒー飲んでるだけですよ、みんなと一緒ですよ。
あの部屋ですか?1人でDIYして、好きな空間作っただけです!いやいや、マジで!!
(やっぱり違和感。)

最近、よく言われるのよ。(何個あんねん笑)
yukaさんって、インスタで発信してて、本当にやりたい音楽って何なんですか?あんまり、やりたい音楽が分からないというか。
やりたい音楽ですか?ネオソウルです。私のルーツはクラシックなんで、バッハがすごく好きなのもありますが。インスタですか?あ、いやあれはカッコいい自分を発信してる、というより、上手くなっていく過程を発信してるという感じで、、
(え、喧嘩売られてる?)

なんだか、私は、インスタのフォロワーが増えて、色んな私が1人歩きしているみたい。

努力できて結果出してる人ですね、
と思ってる方もいれば、
おしゃれで優雅な生活を送ってる人ですね、
と思ってる方もいれば、
ビジネスっぽいマーケティング(あんまり良くないイメージ)をしてる人ですね、
って思ってる方もいるみたい。

これ、全部あってるけど、全部あってないかも。
なんか違和感。
たしかに、全部本当の自分の一面だけど、それが私の全てではない。
という感じ。
分かる?

そんな感覚が、少しずつ違和感として私の中に積み上がってきていた。

が、しかし!
そんな時に、この「自分なんて、ないから」に出会った。
衝撃だった。
なんというか、「え、そうなの!!!!?」って衝撃の嵐。

「自分」なんて、
あって、ないようなもの。
これをバサっと言ってくれて、ちょっと救われたのかも。

自分というものを定義してしまうと、
その定義にとらわれて、
その自分を生きなきゃいけないのかな、という錯覚が生まれて、
いつの間にか、その錯覚に苦しめられてしまう。
私も昔、「ゆかは話題メーカーやね〜」って言われて、
確かに私は話題メーカー(どんな場所でも話を提供することができる)んだけど、
それが私だと胸を張ってると、
どんどん話題メーカーでいなきゃいけない、というプレッシャーを抱えてしまう時期があった。
そんな飲み会が一時期しんどかった。
なつかしいよ、今ではね。
みんなもそんな経験、あるのではなかろうか?

「自分」なんて、ない。
「自分」を、作りあげなくていい。
「自分」は常に変わっていい。
だって、「自分」なんて、最初からないんだから。

何なら、「自分」という作りあげた自分(この本では"フィクション"と言う)を演じてもいい。

みんな、何かの面を都合よく切り取って、ラベリングする。
それは別に悪いことでもない。
当たり前な人間の行動・心理なんだと思う。

でも、それに昔から違和感があった。
そんなちょっと私を見ただけで、簡単に私のことが分かるはずないやん、って思ってた。
反発したりする自分も、悔しがる自分も、もっと頑張らなきゃって思う自分も、同時にいた。
なんか、今思うと、「自分」というものに苦しんでたのかも。

そもそも、それって、
自分や他人が勝手に作り上げたフィクション、らしい。
だから、それに囚われ過ぎなくて良いんだよ、ってことらしい。
だから、誰かに、私が勝手に作り上げられても、
別にそういうものかぁ、へーそういうもんだよなぁ、
って、ちょっとラフに考えられるようになった。

私って、本当は、ない。
インスタで発信している私も、noteで発信してる私も、普段話してる私も、家でゴロゴロしてる私も、
全部事実ではあるけれど、
だからって、私の定義は、ないのです。
なので、好きなように切り取られちゃってもいいか。
そもそも、それ全部フィクションらしいんやから。
自暴自棄になってるわけではないよ?
なんか、違和感や悩みになることでもないかぁ、って感覚になった。

ちょっと極端だけどね(笑)、
なんかそう思えて少し楽になったのよ。

東洋哲学、すげぇ、、、
もう少しディグってみようかしら。

一旦自分を忘れて、座禅でも組もうかしら。
そうしたら、ちょっと色んな悩みが、もっと楽に考えられるのかも。

最後に、本読んだ後に見たこの対談沁みたよ、ってやつ張っときます。



人生って、ムズすぎだよね。
分かる。
一旦、座禅でもしとく?



そう言える将来が、私にも来ますよーに。


yuka kawabata
トランペット奏者。マガジンでは、音楽業界の仕組み、お金のこと、ビジネスのこと、アーティストのメンタルのことをメインに書いていきます。もし良かったらチェックしてみてね。


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