自分にとっての「幸せ」とはなんだろう(『American Beauty』)
1999年に公開された『American Beauty』は、セックスレス夫婦にリストラ、薬物の売人、同性愛など現代の社会問題を凝縮して描かれた映画として話題になった。
映像美としても素晴らしく、薔薇の花や洋服、扉など、至る所に鮮やかな「赤」が散りばめられ、見る人に何のメタファーになっているのかを考えさせてくる。
レスターにとっての人生
最後まで印象的だったのは、主人公となるレスターであった。
平凡な生活に嫌気が差して会社を辞め、ハンバーガーショップでアルバイトを始めたり、妻との夫婦生活が終わっているときに娘の友達のアンジェラに恋に落ちて、最終的には目が覚めたり。
終始自分の人生を憎んで放棄しているかのように見えたレスターが銃で撃たれて最後に見た走馬灯が、今までの自分の人生と、妻と、一人娘であったシーンで、結局は彼にとっての幸せの答えとは、ずっと彼が憎んでいた平凡な人生であったと気付かされた。
全員歪んでる!
この映画の特徴は、登場人物が全員どこか歪んでいるところにあると言える。
一番歪んで見えるのはバーナム家の隣に越してきたリッキーかもしれない。マリファナの売人で、隣人のホームビデオを勝手に撮影するのが趣味というかなりトリッキーな役柄である。
しかしリッキー以外の登場人物もかなり歪んでいる。レスターの妻はやる気のない夫に愛想を尽かして同業者との浮気にはまったり、ジェーンの友達のアンジェラは美人でモテることを鼻にかけ、経験豊富なフリをしているが実際は経験のない奥手であったり。
レスターの娘のジェーンはアンジェラの自慢話の相手にされているとわかっていながら仲良くしていて、「自分のことを分かっている」ように見える一見風変わりなリッキーに惹かれていく自信のない女の子。
それぞれにとっての『幸せ』の形
登場人物一人一人が、自分の完璧な幸せを求めてもがいているのが印象的であった。
でも結局、自分にとっての幸せを見つけたのはレスターただ一人だったのではないかと思った。最後に死ぬのはレスターただ一人だが、死ぬ間際にアンジェラに「幸せか?」と聞かれて「幸せだ」と答えたレスターは、走馬灯でその答えが合っていたことに気づいたのではないかと思う。
結び
最近、私にとっての幸せとは何だろうと自分に問いかけることが多くなった。
私事ではあるが、会社の転勤が続いたり、長い間付き合っていた人とお別れしたり、今までと境遇がガラリと変わる出来事が続いた。
一人でいる時間が長くなるとまるで自分が空っぽのような気持ちになってしまって、私にとっての幸せとはが何なのかを必然的に考えさせられるようになった。
『American Beauty』はまさにそんなタイミングで出会った映画であった。
「幸せ」は手に入れようともがいて手に入れるのが難しいのを、私自身とても実感する。
だからこそ、自分が大切にしたいと思える存在を増やして、自分の人生を豊かにしていこうと思った。
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