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ブラジャーを買うべきか。





いつか投稿されるかもしれないし、一生投稿されないかもしれない文章を書いてみる。
自分の日記に書けよという話なのだけど誰かに読まれる程でないと書けない文章もこの世にある。

人生で初めてパートナーという関係性の相手ができた。
書いててこそばくなるくらいに馴染みのない言葉。

なぜここまで恋愛が苦手だったのかと振り返ると、その一つに、「らしさ」を引き受けなければいけないという観念があった。言い換えれば、恋愛するには「女らしく」あらねばならないような気がしてそれがどうしても無理だったのだ。
(正しくは、恋愛できなかった理由は他にもたくさんあるのだろうけど。)



私が私のステレオタイプに囚われているのだろうと常々思うのだけれども、男の人は女らしい人しか好きにならないのではないかという考えがある。自分は女の割に身長がでかく、胸や体型が魅力的でもないことに、どうしても引け目を感じてしまう。
だからなのか、そうでなくてもなのか わからないが、
ふとした瞬間に「女として見られること」に耐えられなくなる。

と言ったものの、男に見られたいとか、自分の体に疑問を感じたことはないので、自分が捻くれてるだけなのかなーと思っていた。
しかしすこしまえに、「表現したい性」というのが心と体の性や社会的な性と別にあると知った。そこで初めて
「私は表現したい性がノンバイナリーなのかもしれないな」と思った。結構しっくり来た。


まあ、しっくりきたからといって特に何も変わらない。
たまにはワンピースきるし、体のラインが見える服も着るし。時にはメンズのようなダボっとした服装の日もある。


 ちょっとそれるけれど、そもそも男か女かってどうでもよくね?って心から思える体験をしたことがどのくらいの人にあるだろうか。
私にははっきりとある。
ベルリンでの生活がまさしくそうだった。ベルリンでは日常的にメイクしない人も多い。しても「モテる」のではなくて自己表現のためのメイクだったりする。トレンドのメイクなどない。
ブラをしない人も大勢いる。してるかしてないかがわかるということである。それを見て誰も何度も言わないし思わない、あたりまえの世界。
脇毛も生えているけど、生えっぱなしでもノースリーブ着るし、堂々と手を挙げれる。
友達と夜のベルリンで遊んだある時、私がまた開いて座ってようが目の前の人たちは何も私に思わないんだなと、当たり前になったこの日常を再確認して不思議な心地になった。男だから、女だからどうと思わない人たちに囲まれるって当たり前にくるべきで、でも今はまだ尊い日常だなと感じた。

それがフツウに行われている世界に1年いた自分は、メイクすることもブラつけるのも脇毛を剃ることも当たり前だとは思わない。
だけれども、日本では「どう思われるか」を気にすることがマナーであるので、ひとまずは

「当たり前だとは思いたくないですけど、一応従っておきますね」

の心持ちで生きてる。

冬場なら、いや近場なら夏でも、てかバレなければノーブラで出社するのも気にならないし、ノーメイクで新宿に行くのも抵抗はほぼない。


が、そうは言ってられなくなってしまったようなのだ。
パートナーというやつができてしまった。
すると急に自分の体が自分だけのものじゃなくなっていく感覚に襲われる。男と女という関係性になってしまうと、「何かを隠さないといけない気持ち」になってしまう。



 ベルリンでブラジャーをつけないでもいい体を知った時、なんだか安心する心地がした。そしたら今度ブラジャーをつけている日はなんだか違和感を感じるようになった。私には胸の膨らみがしっくりしないのだと24で気づいた。流石に無防備にしているわけにもいかないので、盛らないものをつけるようになって落ち着いた。
胸は盛ることが正義という固定概念が世にはあると知った。そしてそれは絶対ではないと知れて心地よかった。

なのに、再びブラジャーを、盛れてフリフリしたやつを、買うべきなのか悩まざるをえない状況になってしまった。
何てこった。
綿のパンツで一生を生きるつもりだったのに。
セットアップで下着は揃えないといけないのだろうか。
ブラジャーはなぜ高いのだろうか。
なぜフリフリしたやつばかりこの世に存在しているのか。

これを買うことは自分のルールに反しないのか。
悩みながらもワコールのオンラインサイトを3時間くらいも見てしまった。
考えてしまっている時点で自分を嫌になりそうだ。
でも何かを期待してる気持ちが0でもないことにもっと嫌になりそうになる。


私はブラジャーを買うべきなのか。
それとも、ありのままの自分を受け入れてくれるという幻想を信じてもいいのだろうか。

自分がどうありたいかをコントロールすることができたとしても、相手がどう思うかをコントロールすることはできない。
結果として、自分のありかたを変えることで相手に嫌われないようにしようと思ってしまう自分は少し悲しいかもしれない。見栄をはっているのかもしれない。ダサいのかもしれない。

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