イヤな自分にも一粒の感謝
こんな自分は嫌だ。だから私はこうするんだ。
強い意志を持ち、自分を変えていく。自分は変えられるのだから。でも、私の意志は弱く、つい想像してしまうイヤな自分に支配されました。
やめようとするほど、逆に固着化してしまう。
解消するテクニックとして私が知っているのは、
想像は意志に勝ると知るー努力逆転の法則
(イヤな自分のイメージを捨てる)
(なりたい自分を意識する)
より具体的な行動に移すー行動療法
(圧倒的努力で自信をつけて想像に打ち勝つ)
(悲しくても笑顔を作れば気持ちが和らぐ)
でも、私にはちょっとムリでした…。
イヤな自分は、やっぱり自分。
それじゃなくて、こうなりたいと意識してもすぐに忘れれる。調子よくても、ふとしたきっかけで、あっという間に元通り。
嫌いだって思っている人に、無理やり笑顔を取り繕っても、心が苦しいだけ。自分に嘘をついているから。
そんな私が、イヤな自分を克服出来たのは、自分を知ろうとしたことがキッカケでした。
自分と思っている自分を疑ってみたのです。
自分を客観視する。
私という存在に対して、自分が思う自分と、他人から見た自分に乖離があることは、よく感じますよね。
あなたって、いつもこうだよね。
えっ? そんな事思ってもいないんだけどな…。
自分はこうなりたい。
他人から見たら、実はもうなっているのかもしれない。
自分が信じて疑わない価値観や自己評価。
それを変えようと思わなくてもいいと思います。
でも、自分を良く観察して、自分を見ていると
あれ? と思うことがあったりもします。
また、こんな事考えているぞ?
このパターン、また来たぞ?
あーこれ、イライラするやつだぞ?
あれ? ところでなぜイライラしているんだろう…
自分は何を望んでいるのだろう…
本当にそんな事、望んでいるのかな、自分は…。
あるドラマの名言「死んでもイヤだね!!」
と自分も思っているけど、なんでだっけ?
その感情、消さなくていいから、ちょっと足元に置いてみようか。
何が残る?
何も残らない?
米粒どころか胡麻一粒ほどでも感謝できる事が見つかったなら、その小さな事にとりあえず感謝しておこうか。
すると、好きも嫌いも関係ないことがわかるよ。
だってその瞬間だけでも好きになれたんじゃない?
なら後は、程度問題だけだよね。
どちらも、絶対ということはないんだよ。
自分が見ている事も、自分が見ている自分すら、
頭で考えた自分だけの世界。
こうだから好き、これは嫌い、という条件付きの感情は、案外弱いもの。大好きな人が、あるきっかけで許せない存在にもなる。逆もまた然り。
でも、感謝することは、最初は何かやってくれたからという条件付きかもしれませんが、相手が何であっても、相手がいなくても出来るとても強力な想い。
大嫌いな存在に、胡麻一粒程の感謝ポイントを見つけてみて。その相手が自分自身なら、自分の中に胡麻一粒見つけてみて。
きっと、世界が変わるよ。
きっと、世界が開けるよ。
間違いないよ、私がそうだったから。
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