ごめんなさい
休日に、布団の中で何時間も微睡むのが、
一番の幸せなんじゃないかって思っている。
朝起きて、洗濯機回さなくて
ごめんなさい。
ぼーっとしながら、子供の頃の記憶をたどっていた。
やっぱり、10歳になる以前の記憶が、ほぼ無い。
何をやっていたんだろう…?
当時は、スマホもゲームも無いし、雑誌や漫画も
まだ見ていない。TVを見始めたのは10歳頃から。
学校から帰って、遊びに行く友人関係を築いたのも、10歳頃から。
小5で覚醒?するまでの私は、学校でも家でもほとんど喋らず、誰ともコミュニケーションをとっていなかったと思う。
広い教室の喧騒、ザワザワとした単なる音として聞こえて来る声、その音の波が怖かったと微かに覚えている。
家にいても子供は外で遊びなさいと追い出された。
行くあてもなく公園までただ歩いて、誰かがそこで遊んでいたら、顔を合わせるのが怖くて、見つからないようにして帰る。
誰もいなかったから帰ってきた、と誤魔化して。
ひとりでいることを、なぜ受け入れてくれないの…。
得体の知れない存在だったから?心配だったから?
活発で、元気よく笑顔で、野球かサッカーが好きで、友人に囲まれて、少し悪さして。
ただいまー!!
って大声で帰ってきて、ボロボロになったランドセルを投げ渡して、元気よく飛び出していく。
そんな子供が欲しかった?
子供とは、そういう存在だと信じていた?
ごめんなさい。
卒業した時の私のランドセルは、
当時の質でもピカピカのままだったね。
傷もほとんどついていなかった。
声は小さく、少食で、友達を家に呼ぶこともなく、悪いことひとつせず、何をやるでもなく家でぼーっとして。
かといって勉強も苦手で無表情で愛想も良くない。
ごめんなさい。
望んだ子供じゃなくて。
ただ、優しくして欲しかったな。
ただ、受け入れて欲しかったな。
だって、世界は怖かったんだもん。
お陰で今では、立ち向かっていく勇気を持ててるよ。店員さんに商品説明をお願いするのにも、全力の勇気が必要なくらい、小心者だけど。
きっと誰にも気が付かれていないよ。
好きでいてくれる友達も、少しはできたよ。
勉強も少しは頑張って、会社でも成果出せてるよ。
ねぇ、まだダメな子かなぁ。
自分のことを認めて、自分を愛することの大切さを学んだから大丈夫なんだけど、他人に甘えても良いってことを、子供のうちに教えて欲しかった。記憶にないことをやるって、とても勇気が必要。
プラスの成果を出して認めてもらう事でも
マイナスの体験を自己開示して同情をもらう事でもなく、何もやらない、ひとりでぼーっとしているだけの私。
何の価値も、感動も持たれない存在を
受け止めてくれなんて、虫の良すぎる話なのかな?
私は、他人を縛らない。
どんな存在も丸ごと受け止めたい。
そんな私の信念は、子供の頃の原体験から成り立っていたんだなって、思い出してしまったなあ。
書きながら泣いちゃったけど、
書いてスッキリ出来たかな。
単なる自己開示で、ごめんなさい。