雲を晴らすこと
世の中の常識や同調圧力、価値観でさえも
それは幸せの手前にある、雲のイメージです。
私はその雲は、越えるものではなく、順応するものだとずっと思ってました。曇りか雨模様が当たり前の世界。
でも、ちょうど10年くらい前からかな?
疑問に思った。
この雲の下で暮らす私たちは、雨を凌ぐ術を身につけないといけないし、身につけなさいと教育されるけれど(世渡りの術)、その術を覚えられない存在(何らかの制約を負っている人など)は、どうするのか…?
だって、傘を持っていなかったり、上手くさせないだけで、その人はたくさんの幸せをくれる存在なのに、ここでは生きていく事ができないから。
考え抜いた1つの答えが、存在承認だった。
そこにいてくれて、ありがとうの世界。
異端と言われ、雲を突き抜ける人も
常識人と言われ、傘をさしている人も
雨を楽しめるほど、世の中に精通した人も
そして、雨ざらしのまま凍えている人も…。
誰一人として、存在してはならない者など居ない。
ただ、居てくれることが奇跡
どんな形でも構わない、そのままのあなた
今日も、来てくれて、いてくれて、ありがとう
娘を亡くし、それを向ける存在が私の目の前からいなくなってしまった。
でも、同時に会社内では、人の上に立つ立場になっていました。
そこで、この世界観がどれ程人を救えるのかが
実感できています。
会社に来るのが辛いって言っていた、様々な背景を抱えた人たちが、今は笑顔で来てくれるんです。
残念ながら、周囲の理解は中々得られていません。
雲は分厚いし、雲だと皆気がつかない。
曇りが当たり前すぎるから。
今、私から彼らに伝えていること。
「私はこの会社では異端」「ただ、私は雨を凌ぐ傘を持っている」「なので先ずこの傘に入って」「そして一緒に雲を無くそう」「そうしないと、この会社は潰れると思っている」
雲を突き抜け空を駆け上がり、上空から世の中を変えて行く(雲を吹き飛ばして皆を幸せにする)という仕事は、それが出来る人に託しています。
私は、雨ざらしになって、凍えている人に傘を差し出して、雲の上にいる人と繋がって、雲の隙間を見つけ、そこまで連れて行く係になりたい。
雲というものは、実は皆で作り出している価値観の一つに過ぎなくて、雲を俯瞰して観ることができた時、スーッとそれは消えて行く。
私は、そう思う。
今日も、そこにいてくれてありがとう。