大好きなあなたへ…3/5
直前の二週間
思い返せば不思議なことが起きていました。引っ越しを機に、疎遠になっていた母から、絶縁状を受け取ります。数年前の、私にとってはほんの些細な一言が、母を激しく傷つけていたと知りました。申し訳ない…。
また、急に思い立ち、浴室や部屋の掃除を始めました。無理やり、時間をやりくりして。ゴミを処理場に出しに行く途中、初めて一旦停止義務違反で警察に呼び止められるほど、とにかく急いでいました。何かに急かされるように。
自分の意思で動いている感覚ではありませんでした。虫の知らせだったのかもしれません。
運命の日
朝から雨が降る金曜日でした。帰りが遅くなった私は、帰宅途中の電車の中で、病院からの連絡を受けました。電車内で泣き崩れました。もう周囲のことなんて何も見えません。
運命の日
タクシーに飛び乗り病院へ。
明らかに無理とわかる蘇生措置を
懸命に施してくださっている
看護師さんと、変わり果てた娘。
取りすがる私のシャツが、赤く染まる。
もう2時間経過しているとの説明。
揃っている親族が、私からの一言を待っている。
まさか、この一言を、ドラマでしか知らない一言を
自分が言うことになるなんて。
「ありがとう・・ござい・・ました。」
「楽にしてあげてください。」
ほんの数日前に、綺麗にした浴室での最期だった。
様々な書類にサインをしましたが、覚えていません。
深夜、私たち以外は誰もいない病院のロビーで
ずっと泣きました。
娘は、一度警察へ引き渡し、
綺麗な服に着替えて帰ってきました。
警察の方々も、一緒に泣いてくれました。
葬儀
喪主として、皆様にご挨拶させていただいた内容です。
少しお話しさせていただいてよろしいでしょうか? 去る7月19日金曜日の夜、故人は大好きなお風呂に入っていたところ、急に意識をなくし、そのまま眠りにつきました。お風呂の中ではありましたが、苦しんだ様子もなく、本当に眠るような最期でした。急なことで、私たち遺族、家族一同気持ちに整理がつきません。
この子は、言葉を上手に使えなくて、10年と少し、本当に色々と大変だっただろうと思います。ですが、とても笑顔が素敵で、私たちにたくさんの笑顔を、力を、元気を与えてくれました。私共、まだ立ち直ることができません。故人のいた頃と、生前と変らぬご支援、ご指導を賜りますれば幸いです。本日は、ありがとうございました。
嵐
心が荒れ果てました。いつもと変わらず食器を洗っている自分。でも、何かが違う。妻は寝込んでいる。その妻の実家から、毎日のように届けられるお花や食事の差し入れが、気になって仕方がない。頼んでもいないのに、自分のことは自分でやるのに。
さらに、周りからのキツい言葉。
子を亡くし、一番辛いのは母親だ。
あなたはしっかりしなさい。
(おいおい、俺だって辛い。毎日、泣きながら通勤し、仕事をしている。俺には、悲嘆にくれる時間もないのか? ふざけるなよ!)
さまよう心
とうとう爆発し、洗っていたお皿を叩きつけました。
もう・・・いやだ! 生まれて初めてでした。こんなに感情を吐き出したのは。感謝も思いやりも吹き飛びました。
人から感謝される生き方をしよう、娘のために生きていこう。二つの行動指針を失った私は、空っぽになりました。
娘と通った通学路を、夜な夜な一人で歩き、言葉が最後まで出なかった娘と会話する。踏切や歩道橋の上に吸い寄せられることが何度もありました。
職場の存在
あの時、私を引き留めていたのは、会社で私の分まで必死に仕事を支えてくれている仲間たちでした。家族は共に悲嘆に暮れており、心の支えを外に求めるしかありませんでした。
年上の先輩社員から20以上も年下の若手まで。彼らの存在が、私をわずかに繋ぎとめていてくれました。