子供から教えられること
私は、障がいを抱えた子を育て、そしてその子に先立たれました。障がいと向き合い、育児を経て、子を喪うという経験から得た事を一言で申すならばこの言葉に集約されます。
「子は天からの預かり物」
「授かりもの(所有物)ではない」
これは、どんな形の育児であれ、親としていつかは理解しなければならない。
子供の人生を背負うのでは無く、たまたま一緒に走っているだけの、マラソン仲間でしかない。
自分のバトンを渡すために、子供は存在しているのではない。たまたま一緒に走っているだけ。
伴走者ですら、ないのです。
いつの日にか自分を追い越して、先を走って行く光景を当たり前のこととして認識しがちですが、そう思うが故に、全然走ろうとしない、スピードを上げない、横にそれていく我が子を許せなくなる。
親の分身として、親の道の先に子を走らせたくなる。
それが、さも当然の事のように。
親には親のペースがあり、子には子のペースがある。
走るコースも、距離も違うのです。
シューズを履かせ、走り方を教えたなら、子は自分で走り出す。親がする事は、ここまでです。
どうしても子が心配ならば、手を引っ張るのではなくて、親も一緒に立ち止まってみれば良い。
子のペースで居てくれる仲間を見つけるには、自分のペースや自分のコースを、変えなければならない。
親が導くのでは無く、子に導かれる。
今回の人生は、早く遠くに走ることでは無くて、立ち止まって足元の綺麗なお花に気がつく事。
自分の道を引き継がせ、真っ直ぐ走らせる事に拘るより、ずっと大切だと私は思う。
ギフトを持った子供たちは、それを教えてくれる尊い存在なのですよ。
私の右肩の天使さんは、そうだった。
それを、あの子が望んでいたのか?
そんなこと、わかりません。
でも、私はそう思うのです。
それで、私は幸せです。