黄色い家(の話)

そのアパートは市場のすぐ横にあった。角部屋で三方に大きな窓があってとにかくよく日の入る家だった。床が黄色いタイルばりだったこともあって思い出すその家はとにかく黄色くて明るい。正方形でちょっと不思議な間取りの部屋だった。日当りの良さと、目の前の市場がSanta Caterinaという名前で、予備校の先生に「この映画、観てみて。すごく好きだと思うよ。あなたの絵を見てるとこの映画を思い出す。でも、もう少しペースアップして描かないと入試には落ちるよ。」と言われて初めて観て以来、何度繰り返し観たかわからないタルコフスキーの『ノスタルジア』の舞台になる修道院と同じだったことに何か運命的なものを感じて部屋数もろくに確認せず借りることにした部屋だった。

あとから気がついたのだけど、この家のある界隈に足を踏み入れたのはバルセロナに初めて行った時で、それも着いた翌日のことだった。まず何はさておいても旧市街のピカソ美術館へ行きたくて地図で見当をつけて美術館目指して歩いていたらいつの間にか古い市場の横の道に出ていた。はじめはそこが市場だということにも気がつかなかった。街の中心にある広場から海の方に向かって歩いているうちに突然視界が開けて人の声がいっぱい聞こえて嗅いだことのない匂いがする場所に出た。街の中心、新市街と旧市街を結ぶカタルーニャ広場からずっと歩いてきた洋服屋さんやパン屋さんが立ち並ぶ道や大聖堂の前とは異質の場所だった。大きい声で話す人たちが慌ただしく行き来していることが少し怖くて、ここはどういう場所なんだろうと思いながらその日は早足で通り抜けた。そこからピカソ美術館の道へと曲がる角まではほんの2、3分の距離だった。そして、2回目にそこへ来たのはもう留学してバルセロナに住むようになって一年近くたってからだった。

最初のアパートは新市街の丘の上の方にあった。グエル公園に近いあたり。でも語学学校も入り組んだ細い道をぐるぐると歩けばいつでもいい散歩になってそのうち行きつけのカフェや好きな広場ができたりした地区も海に近い旧市街だったから、学校がある日だけでなく土曜日も(日曜日だけはあまりに寂しい日なので家にいた、というか家からほとんど出なかったりしていた。日曜日、外に出ると、お菓子屋さんの包みを持って誰かの家に行く家族づれや楽しそうに連れ立って歩く人たちばかりが目に入って、いつもちょっとつらかった。)バスに揺られて緩やかな坂道をおりていって、夕方になると時にはバスで時には歩いて登ってくるのが数ヶ月経つとおっくうになってきていた。それに私はやっぱりあの暗くいりくんだ旧市街が好きだった。上を見ると曲がりくねった細い石畳の道と同じ形の青い空が天井のように古い建物を覆っている場所。そこはバルセロナの心臓という感じがした。なんとか日常会話くらいはこなせるようになった頃、そこに飛び込む時が来たと思って、それで地区を旧市街に絞って部屋を探し始めた。

何件か見て回って最後に見に行った部屋がこの市場のすぐ横にあった。不動産屋さんとの待ち合わせは夕方だったので市場はもう閉まっていてあの時のにぎやかな声はなかったからそこがずっと前に通り抜けた場所だということに気がつくまでに少し時間がかかったけれど、「ああ、ここはあそこか。」と思った時、何故かなんの根拠もなくもうそこに住みたくなっていた。目の前の市場はサンタ・カタリーナというタルコフスキーの映画が好きな人なら誰でも運命を感じてしまう名前だったし。でも見せてもらった部屋は壁がきつい青に塗ってあったのが好きになれなかった。さらにトイレに窓がないのも何だかなと思ってがっかりした顔をしていたら不動産屋さんが「この隣にももう一部屋空いていて一応借り主は決まってるんだけどまだ契約までいってないんだ。見てみたい?」と言う。

それがあの黄色い家だった。


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