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【タイと日本を結ぶ人身取引の闇④ [豊かさとは]】

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前回の投稿はこちらからお願い致します。


前回は、山道を越えて少数民族の村を訪れた際の記録を綴りました。

今回の主な内容は以下の二点です。

●子ども達が通っている学校に帯同した時の様子
●村でホームステイをさせてもらったお返しとして行ったボランティアワーク


今回の村でのフィールドワークは「豊かさ」について考えさせられる契機となりました。


【険しい山道を越えて】

明け方、目が覚めると予想以上に冷え込んでいた。パヤオセンターにいた時とは気候がまるで違う。

この日は子ども達の登校に帯同させてもらうことになっていたため、夜も明けきる前に起床し、出発の支度をした。

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出発してしばらくは、舗装こそされていないものの、車も余裕で通れるほどの道幅で足下も安定している道を歩いていた。

しかしそれも束の間。徐々に道幅は狭くなっていき、起伏が激しくなっていく。最初は横に広がって互いに話をしながら歩いていたが、それもやがて不可能になり一列になって前進していった。
息を切らしながら過酷な山道を登りきったと思ったら、今度は一歩踏み外せばどこまでも転げ落ちてしまいそうなほどの下り坂が待ち受ける。意気揚々としていた私達も山を越える毎に口数が少なくなっていき、その代わりに息切れが激しくなっていった。

そんな私達を尻目に子ども達は軽快に山道を突き進んでいく。これほどの山道を毎日歩いているのかと感心してしまうほどだった。

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歩き続けること約1時間、ようやく学校へと辿り着いた。
足が棒になるほどの道程であったことから、私達は到着して間もなく座り込んだ。当然帰りも元来た道を通ることになるため、少しでも体力を温存しておかなければならない。
そんななか、子ども達だけは出発時から変わった様子もなく元気に学校へと向かっていった。

休憩している間、自分が小学生だった時の記憶を思い起こしていた。私は青森の片田舎の生まれで、家から小学校までは3kmほどの道のりだったが、道路は舗装され、起伏も少なかった。にも関わらず、6年間のほとんどを車での送迎に頼っていた。
ここでは車での送迎など到底不可能であり、天気が悪くても自分の足で山を越えて登校しなければならない。
この日、自分がどれだけ恵まれた環境に置かれていたのかを改めて思い知らされた。

授業が終わると、私達は再び息を切らしながら元来た道を引き返していった。



【ボランティアワーク】

村でのホームステイも残すところ1日となり、私達を快く受け入れてくれた村長をはじめ住民へのお礼も兼ねて、ボランティアワークをさせてもらうことになった。

作業の内容は、これまた村から離れたところにある貯水地の掃除だった。なぜこのような作業が必要かというと、ここの水が村の生活用水になっており、もしそこの掃除を怠ればゴミや落ち葉などが詰まってしまい、村まで水が行き届かなくなる。そのため、村人達は定期的にそこへ行って掃除をしているという。
今回はその作業をするため数名の住民と一緒にそこへ向かうことになった。

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なぜか牛乳配達業者のユニフォームを着せられ、一同は再び山道を歩く。
30分ほど歩くと、その水場に到着した。水は濁り、水面には無数の落ち葉が浮いていた。なるほどこれでは水も滞ってしまう。

ひたすらの肉体労働だった。水辺での作業であったために暑さこそあまり感じなかったが、まず初めに池の水をすべて手作業で抜かなければならない。専用の機械などもちろんない。更に、底はツルツルと滑るため足下にも気を遣って作業を行わなければならなかった。
その作業が終われば、残った落ち葉やゴミなどを取り除いていく。ついでに、辺りにへばりついた苔などもそぎ落としていく。
こうした作業が数時間続いた。

作業が一通り終わると見違えるほど綺麗になった。堰を開くと、上流からの澄んだ水が流れ込み、歓声が上がった。ほんの数時間の労働に過ぎないが、村のために貢献できた喜びを皆で分かち合った。

ここで少々体を休めたのち、再び村へと歩いて帰った。

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【「豊かさ」とは】

村での生活を通して「豊かさ」について考えた。
いったい「豊かさ」とは具体的に何を指すのか。

ちなみに辞書的には以下のように定義されている。

1.満ち足りて不足のないさま。十分にあるさま。
2.経済的に恵まれていてゆとりのあるさま。
3.心や態度に余裕があって、落ち着いているさま。
4.量感のあるさま。
5.他の語について、基準・限度を超えているさまを表す。

goo国語辞書 より引用

タイの少数民族の村に来るまでは、お金が十分にあることが「豊かさ」の条件であると思っていた。そのため、当時は「貧しい=豊かではない」というような考えだったと思う。

しかし、実際にそこに住む住民や子どもと関わってみると『必ずしもそうとは限らないのでは』とこれまでの自身の考えに疑問を持つようになった。決して裕福とはかけ離れたような村でも、収穫してきた農作物をご近所さんに分けたり、赤ん坊の世話をよその子どもやお母さんが手伝ったり、こうした狭いコミュニティだからこそ育まれる共生の精神や助け合う姿勢などを垣間見ることができた。
この村では、日本の地域社会で喪失しつつある「人間的な、精神的な豊かさ」を感じた。3日間という極めて短い期間だったが、決して裕福とはいえない村であっても、住民達からは悲観的で人生に絶望している様子を感じ取られなかった。

国内に数多く存在する村の1つを見たに過ぎないが、生活に困らないほどのお金を持っていることが「豊かさ」の絶対的な条件ではないことを今は確信している。



次回に続く


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