親愛なる、音楽ライター・池田スカオさん
2日前、自分のキャリア史上最もお世話になった方の訃報が突然届きました。
編集者になってからまだ数年と浅いですが、これまで配信したほとんどの記事を一緒に作ってきたライター・池田スカオ和宏さんの訃報でした。
訃報を聞いたあと、放心状態になりながらもその方と作ってきた記事を見返して涙が止まりませんでした。
数週間前にメールで
「こんな時期だから、一緒に音楽業界を盛り上げよう」
「来年もあのフェスで一緒にライブレポート書こうよ」
と話していた矢先で本当に突然の別れ。こんなことがあるのかと今でもあまり現実を受け入れられていないです。
でも、誰よりも音楽を愛していて、音楽の記事を書くことが好きだった池田さんと作ってきた記事は、この先もきっと誰かの目に留まることがあるだろうし、いろんな方に読み続けてほしいと願っているので
当時の思い出を振り返りつつ、これまでの感謝の気持ちを込めて、一緒に作ってきた記事を一部紹介したいと思います。
特集化された企画は2つ
池田さんと言えば、ASKAさんとのインタビューが一番印象に残っています。
ASKAさんが本格的に音楽活動に復帰されるタイミングで池田さんのとあるご紹介でインタビューが実現。復帰後のインタビューはYahoo!トップニュースにも掲載されました。
復帰第一弾となるこの記事はY!トピを目指していたし、掲載された時はもう嬉しすぎですぐに池田さんに電話しました。池田さんも本当に喜んでくれたことを今でも鮮明に覚えています。
以降、池田さんはASKAさんの取材やライブレポートにかなり力を入れて一緒に制作してくださり(地方の静岡公演も行っていただいたり)したおかげで「ASKAの今」という形でレギュラー企画になりました。
ASKAさんと年代が近い池田さんは、音楽の話だけでなく世間で話題になっているニュースや国際問題だったり様々な話を展開されていました。
ASKAさんから次々と飛んでくるいろんな話題に対して、楽しそうに、ときに真剣に話を弾ませる池田さん本当にすごい……といつも同席しながら思っていました。
「ASKAさんのインタビューをツイートすると、たくさんファンの方がTwitterで反応くれるんだよ」
と取材の度にいつも嬉しそうに報告してくれていた池田さん。池田さんのインタビューイーへの愛情や敬意が記事から伝わるからこそだと思います。
そしてもう一つ、池田さんがきっかけで特集化できた記事があります。
池田さんがFUNKY MONKEY BABYS時代から交流のあった、ファンキー加藤さん主催フェス『OUR MIC FES』。開催前のインタビューから当日のレポートまで担当してくださいました。
フェスのライブレポートの終盤に書き残してくれた言葉も素晴らしくて。
「ジャンル的にもなかなかカテゴライズできないこの分野、いい記事を書いて盛り上げたいんだよ!」
と力強く語っていた池田さんの想いがすごく記事に反映されています。伝えたかっただろうことが120%詰まっています。
ファンキー加藤さんはもちろん、昔から交流のあるアーティストが多く出演していたフェスで、池田さん自身も思い入れが強かったみたいでかなり力を入れて挑んでくれた気がします。
とても愛が詰まったレポです。ドラマチックに書いてくださった以下の一文がお気に入りです。
この日出演したアーティストたちも、ようやく自身の居場所や、しっくりくる場所を見つけた。そんな実感を得たことだろう。そう、このフェスこそが、その楽器を持たざる音楽家が集う、しっくりとした居場所なのだ。
いつも全力で応えてくれた
様々な音楽メディアで執筆されている池田さんが、特に長年やってきたのが新譜にまつわるインタビューやライブレポートだったかと思います。
池田さんとの出会いはフリーペーパー誌「VANITY MIX」の飲み会だったのですが、当時新卒1年目だった自分は「ライターのお仕事をしているVANITY MIXでめちゃくちゃすごいライターさんがいるから、音楽の仕事について話してみたい」と、飲み会でベロベロになっていた池田さんと話したのが始まりです。
その後自分が現職の編集者となり、SUPER BEAVERのインタビューでお声がけしたのが最初のお仕事でした。
「SUPER BEAVERをより多くの人に拡められる切り口にしたい」と池田さんに相談。
アルバム『歓声前夜』のリリースインタビューだったのですが、楽曲の話よりも“インディーズバンドが武道館に立った日“というテーマを中心に執筆いただきました。
Yahoo!ニュースには「娘とライブに行き、ハマりました」などのコメントもあり、いろんな層に読んでもらったと思いとても嬉しかった記憶。
他にも
人にフォーカスを充てた、他のメディアとは少し違う角度でアーティストを深掘りをしたいと注文の多い編集者(私)による要求に池田さんはいつも全力で応えてくださいました。
取材前のプロットのやりとりも毎回すごく親身になってくださり、取材後や記事掲載後は「今回もやり切りましたね〜!」と互いを労ったりしていました。
「日野ちゃんの案件はいつもむっちゃ体力使うんだよ〜!笑」
と何度も言われた気がします。笑
楽曲の魅力を引き出すこともピカイチだけど、アーティスト自身の魅力を引き出すのも本当に上手かった池田さん。
音楽活動をしているYouTuberの方のインタビューをご相談した時も、
「YouTuberは初めてだな」
と言いつつとても興味を持ってくださり
「楽曲聞いたけどすごいね」
「彼らはきっと〇〇っていうアーティストをリスペクトしてるんじゃないかな」
と、いちアーティストとして敬意を持ち、取材に挑んでくれました。取材では普段聞けないような音楽の深い話を彼らから引き出していて、とても盛り上がっていたのを覚えています。
2度実現した 師弟ライブレポート
池田さんには多くのライブレポートを執筆いただきましたが、フェスのレポートは一緒になって書いたことがあります。
業界の大先輩と一緒にレポートが書けるなんて、恐れ多かったのですがとても光栄な経験をさせていただきましたし、本当に楽しかった記憶しかないです。
『DEAD POP FESTiVAL 2018』は2daysとも、お昼ご飯も食べる暇がほとんどなく二人で終日会場を駆け回りました。笑
ワンオクのステージではTakaの衣装の意味をこそっと教えてくれたり、最後のSiMのステージではレポートしつつも楽しそうに身体を揺らして音楽を楽しんでいた池田さんの姿が今でも鮮明に覚えています。
師弟ライブレポで最も大変だったのがLIVE HOLIC。
一日中ステージに張り付けになり、即日掲載のために二人で勢いよく書き上げました。池田さんはiPad、自分はMacBookでひたすらライブを見て→すぐに執筆、を繰り返した日。
この記事のリード文に
レポートは「LIVE HOLIC」の主旨である先輩VS後輩に乗っ取り、ベテランライター(50代)と、新米ライター(20代)でお送りする。
とあるのですが、これは終演後お客さんがいなくなったロビーで二人で必死に原稿を作っていた際に池田さんが提案してくれた文です。
「これ、むっちゃ良くない!?」
と嬉しそうに言ってくれたのが本当に嬉しかったのを覚えています。
それ以降、
「LIVE HOLICは時間との勝負もあって本当に大変だったけど、また絶対やりたいね」
と何度も話してくれました。経験が浅い自分にとってはプレッシャーも少しあったレポートでしたが、その言葉が本当に嬉しかったです。
いただいた言葉はこれからも宝物のように大事にしていきたいと思います。
最後に
こうやって当時を思い出しながら、池田さんを記事を紹介していくなかで寂しさは変わらないけど楽しかった思い出ばかりだったことに気づきました。
池田さんとは全てのアーティストの話をした気がします。今どの曲を聞いても、池田さんのことを思い出しています。
ライブもたくさん観に行きました。取材後やライブ後はいつも飲みに誘ってくれて、音楽の話だけでなく人生相談にものってくれました。
仕事を辞めたい/自分は編集者に向いてないと悩んでいた時も、池田さんはこれまで一緒に作ってきた記事のことを話してくれたり、全力で励ましてくれたり、力になってくれました。
もう会えないなんて本当に信じられないし信じたくないです。コロナ禍ですごく心配していたアーティストやライブハウスのこの先のことも見届けられないままじゃないですか。
池田さんがいない音楽業界は、きっと寂しいです。
訃報を聞いた日に観たNovelbrightの配信ライブ、素晴らしかったです。路上ライブから取材していた池田さんもきっと観たかったと思います。
池田さんが見れなかったこれからの音楽シーンをしっかり目に焼き付けて、多くのライブにも足を運ぶので、次にお会いした時にたくさん音楽の話をしましょう。
今まで本当にありがとうございました。
たくさん一緒にお仕事できて心から光栄に思います。
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