国境を越えて
スイスと隣国との国境が晴れて開通したのが6月15日。隣国、といってもその中にイタリアだけが含まれていないのが何とも差別的で気の毒なことと思うが、コロナの新規感染状況等を踏まえての措置なので仕方がない。
ともかく、そんなわけで早速越えてきました、スイス・フランス間の国境を。
スイスはEUには入っていない。けれどシェンゲン協定のおかげで、これまで欧州域内ならどこへ行くにもパスポート不要、国境コントロールなし、がデフォルトであったところへ、このコロナ騒ぎ。隣国との国境がバタバタと閉じられて行く様は、森や草原、川や湖でなだらかに繋がった土地の上に黒マジックで新たに太線を書かれたような衝撃を我ら小国住民にもたらした。海という外界への出口を持たぬ国だけに、「陸の孤島」感が一気に募り、どのみち外出禁止で各々蟄居を余儀なくされた日常とはいえ、「いざとなれば外へ」というオプションが急に閉ざされたことの痛手は、とりわけ私たちのような国の外にルーツを持つ人間にとってはなかなかきついものだったと思う。
満を持して・・・
普段であればオンラインで電車のチケットをサクサクと購入、QRコード一つで気軽に越える国境であるところ、今回は三ヶ月半の閉鎖からの様子見再開であるためであろう、まずはオンラインで電車のチケットが買えない。最寄りの駅の窓口で、ガラスの壁越しに対面で購入する運びに。
「こんな状況なので直行はありません。バーゼル乗り換えとなりますね。その上、TGVの本数が限られているので、あまり選択肢はないんですよ」
窓口のおばさん、彼女のせいでもないのにちょっと申し訳なさそう。大変、親切。かつ要領もよく、ものの五分で私と娘の分、チューリッヒ・パリ往復チケットを印字してくれた。
「マスク着用が義務ですから、気をつけてくださいね」
そう、ニュース等で知ってはいたが、隣国フランスでは公共交通機関乗車の際はマスク着用が義務なのだ。対するスイス、ロックダウンの初期から一貫して「強制はしない。協力を要請するのみ。あとは市民の責任において」という路線をとってきたけれど(そしてだからフランスやイタリアのような外出許可証なども一切導入されなかった)、マスクに関してもそれは同じ。一時はマスクの供給が十分になかったためにそもそも強制ができなかった、という噂もあるが、どこでも簡単にマスクが買えるようになった現在も、街でマスク姿の人を見かける機会は大変少ない。そしてその数は日々、どんどん少なくなってきている。
案の定、私たちがその朝、乗車したバーゼル行きの車内ではマスク着用者は二人に一人、いるかいないか、という程度(私と娘はマスクしました)であっという間にバーゼル着。バーゼルでは一旦駅の外に出て、荷物をガラガラ引きながら隣接するフランス側のホームへと歩く。フランスホームに入る直前に、国境警察の係員が3人、仁王立ちで壁を作っている。フランス側の警察だ。
私たちの前を行くのは一人旅の黒人の男性だったが、その彼が仁王立ち3人に早速止められた。随分長く、色々聞かれている。そして最後にパスポート提示を求められて彼が差し出したのは遠目からもすぐわかる、赤地に白十字のスイスパスポート。中を一瞥して、ページをパラパラめくったところでようやく「通過」が認められた。
やだなあ。私たちも止められるのかな、と思って歩を進めると案の定、ストップがかかる。私と娘の顔を交互に見比べた上、「ご一緒ですか?」
「はい、そうです」「一緒にご旅行?」「はい、そうです」「お住いは?」「チューリッヒです」「チューリッヒに住んでいて、そしてこれからパリに行く、と、そういうことですか」「はい」
パスポート提示こそ求められなかったものの、なんだか割に根掘り葉掘りの質問。それも、娘にではなく、私一人に向ける形での質問の数々。やっと解放され、ホームに入ってから背後を何気なく見ると、他の客たち、全く止められることなくスイスイ通過してるじゃないですか。
こういう些細で個人的な体験の積み重ねこそが、人の中に「被差別コンプレックス」という卑屈をゆっくり、じわじわと積み上げて行くのである。そのことを、長年の異国暮らしで自分はよく知っているけれど、折しもBlack Lives Matterの渦中であり、普段以上の感度でこの朝の出来事を静かに観察し、心に刻んだ。それが国境再開の最初の感想であったことの皮肉に少し苦笑しながら。
バーゼルからさらに三時間。今度は車内全員、マスク着用だ。チューリッヒから都合4時間あまり、ずっとマスクをつけっ放しなのでやはりかなり息苦しく暑苦しいが、三ヶ月ぶりにリヨン駅へ降り立ってみれば、あたかも異星からの大帰還を果たしたような感慨がこみ上げる。リヨン駅のレジェンドブラッスリー「トラン・ブルー」はなぜか閉まっていた(まさか倒産とかではないよね?)。
公共交通機関はなるべく使わない。そう決めてきたので、リヨン駅から市内のアパートまでは徒歩で。イダルゴ市長になってから、グリーン化が一気に進むパリでは街のいたるところに自転車用の道のスペースが贅沢に取られており、システムに不慣れなため、右から左から後ろから「チリンチリン」と鳴らされて、おっとっと、ここは歩道じゃないのか、と飛び退くこと幾度も。コロナの影響もあるのかもしれないが、何しろ、自転車だらけ。全くスイスの比じゃない。
頼みもしないのに向こうからやってくる、ハプニングの数々
パリにはきっかり一週間滞在した。その間、どこへ行くにも徒歩だったので、一日1万五千歩くらいは歩いていただろうか。唯一の例外は、クリニャンクールの蚤の市に友人を訪ねて行った時。パリ大縦断の長距離コースなだけあって、もう随分歩いたと思ってグーグルマップを見ても「あと50分」とか出てくるし、小雨も降ってきたし、手に抱えたお土産用の鉢植えが重かったのとで、とうとう途中で諦めてバスに乗ることにした。北駅の近くのそのバス停(停留所名失念)には「あと10分」と電光表示が出ているが、しばらくしてもう一度見たらまだ「あと10分」。ん? それから随分してもう一度見たら「あと9分」。ん? ん? ん? ほとんど秒単位まで正確なスイスの表示とのこの差に呆れ、ああ、そうだった、そうだった、これがパリなのだった、と思い出す。
最初の「あと10分」はとんでもない嘘で、結局30分くらいは待っただろうか。やっとのことで現れた待望のバスは、だが遅れてきたせいかかなり混んでいて、わ、しまった、と後悔するも、雨も降り止まないし、これまで待った時間がもったいないし、と、諦めて乗車。発車直前に女性運転手さんが「そこ、そこ、ベビーカーの方に場所を作ってくださーい」と車内アナウンス。確かに入り口付近で乗り切れずに往生している赤ちゃん連れの女性客がいる。周りの乗客が一気に場所を空け、ベビーカー、無事に乗車、所定のベビーカー用の場所にたどり着くや否や、先ほどの運転手さんの声、再び。
「ブラヴォー。ベビーカー女性に親切な皆さん、すんごいクール。メルシー!」
皆の口元、いやマスクしてるから口元は見えないのだが、おそらくその見えない口元に小さな笑みがこぼれ、混雑した車内の雰囲気がふっと和む瞬間だった。
が、そう思う間もなく、次の停留所で乗ってきた女性二人組の一人がマスクをしていないのに気づいた乗客が「そこのアナタ、マスク、マスク!」と厳しい口調で注意する。不着用女性、慌ててバッグの中をゴソゴソ探すがマスクが見つからない。すると注意した方の女性が「まったく」と舌打ちしたかと思うと、自分のバッグの中からジップロック入りの新品のマスクを取り出し「これをおつけなさい」と手渡し、不着用女性、「メルシィ、マダム」と恐縮の至りで速攻でマスク着用に至る。眉間にシワだったマダムも「ジュヴザンプリ(どういたしたまして)」と、やはり見えない口元を少し緩める。
と、その瞬間、今度は斜め前の席の男性がいきなり咳き込み始める。わ、やだ、どうしよう、と硬直する私。高まる緊張の中、ふと気がつけば自分のジーンズが何やらじっとりと濡れている。なんだ、なんだ、何事? と慌てるが、手に持っていた鉢から相当な勢いで水がポタポタ漏れていることを発見してさらに慌てる。手提げの紙袋は水漏れでぐちゃぐちゃでまさに底が抜けんとする瞬間をすんでのところで間に合って両手で下から支え持つ体勢にチェンジ。やれやれ。
いやーパリのバス、色々あるわ、と呆気にとられていると、バスは次の停留所にゆるゆると差し掛かる。すると、件の運転手さん、再び車内放送モードで
「みなさん、次の停留所からスリが二人乗ってきます。お手荷物にくれぐれもご注意を!」とアナウンスするではありませんか。
鉢植えで両手がふさがっているのでなすすべもないが、それでもバッグをお腹の側に回し、鉢植えで挟む格好にして防御することにしたが、停留所到着でドアが開くと、なぜか乗客、大量に下車開始。それが「スリ」のせいなのか、あるいはたまたまみなさん、そこで降りる予定だったのか不明だが、なんだか集団心理的に私もおっかなくなって、彼らの後を追うようにして下車。入れ違いに乗り込んでくるこの乗客たちの、はて、誰がスリなんだろう、と振り返って見定めようとしたけれど、全然見当がつかない。半端なところで下車してしまったので、そこからさらにびしょびしょの鉢植えを抱えながら30分歩いてようやく目的地に到着する頃には心身共に疲労困憊だった。
お隣りなのにこんなに違う
とまあ、こんな具合でただ一回きり乗ったバスで久々の大冒険なのであったが、実はパリのバス、今は無銭乗車状態である。というのも、運転手の感染の危険を防ぐため、普段は前乗り乗車のところ、特別に後ろから乗る形になっており、運転席と車内の間にはテープが貼られていて客はそこより前に行けないようになっているから(その情報を私はペンキ職人のアレックスに教えてもらった)。車内で全員がマスクをしているのは言うまでもない上、「ここは座っては行けない」という表示が一席ごとに貼られていて、ディスタンスへの配慮も(といっても今回のように立ち席で混んでたら無意味だが)。さらには、各停留所に消毒ジェルの容器が備え付けられており、手をかざすと一回分のジェルが出てくる仕組み。つまり乗客はどこにも触らずに手の消毒ができるという優れもの。
バスに限らず、すべての店、カフェ、レストランは入り口に消毒液完備。入店の際に、店員さんから「手を出してください」と言われて消毒液をつけてもらうところもあるが、まあ大体は自分で消毒する。店内は当然マスク着用。カフェのテラスに座っているぶんにはマスクはしなくてもいいけれど、中のトイレに行こうと思ったらマスクをしなくちゃいけない。アイスクリーム屋さんの前ではみんな一メートルの距離で並んでいたし、クラブに行けない若者たちがセーヌ河畔に大勢繰り出し、車座ピクニック飲み会を開催していた。店々には可愛いのやらカッコいいのやら、早速いろんなマスクが売られており、それを服やサングラスにコーディネートしてる風の人の姿もたくさん見かけた。アメリカやイギリスではマスクへの拒否反応が相変わらず強いが(トランプ大統領を筆頭に)、フランスに関しては、そういう雰囲気は全く感じられないどころか、むしろファッションとして楽しんでいるくらい。ちなみに私のアパートには、留守中に区役所からサージカルマスクが4枚届いていました!
さて、そんな状況のパリからスイスに戻ってみれば、「コロナ、それ何?」みたいなリラックス状態が逆に衝撃的だ。新規感染者数もこのところ、徐々に上昇しているらしいし、どこやらのクラブではクラスター感染もあった上、警察が感染経路をたどるために要求したその夜の客のリストも店側は出さずじまいだったとか。
コロナの隔離政策の段階で、国ごとの取り組みのスタイルには隣国の間でも随分違いがあったし、緩和の進め方においても「どこから先に緩めていくか」という各国の優先順位の違いが興味深かった。が、今、緩和措置で概ね足並み揃ったこの時点でのフランスとスイスの人々の意識や行動様式の違いには瞠目するものがあった。
思えば、2020年の年頭以来、コロナ地域差、コロナ時差というものをソーシャルメディア、世界各地に散らばる友人や家族からの生の報告などを通してさんざん見聞きしてきた。自分自身の感覚もそうした差にずいぶんと翻弄されてきたものだった(日本は相当まずいんじゃないかと心配したり、イタリアの状況に胸を痛めたり、イギリスの呑気ぶりに驚いたり)。
昨日のフランスの統一地方選挙では緑の党が歴史的な大勝利を収めたという。これはもともと二ヶ月前に予定されていた決選投票だったが、外出禁止の真っ只中で延期されていたものが、この度ようやく開催されたもの。リヨン、ボルドーといった保守系がずっと牛耳ってきた大都市でも次々とグリーンが勝利。パリもグリーンと組んだ前述のイダルゴが大差で再選。コロナで「消費の仕方、暮らし方、環境への取り組み方」の変化が不可欠だとの思いを新たにした市民が増えた結果なのか。昨秋、スイスでも総選挙でグリーンが大躍進して話題になったが、揃って(けれど国ごとに違う仕方で)コロナを体験した欧州では果たして今後、この傾向が広がっていくのだろうか。相変わらず状況が改善しないアメリカの様子や大統領選の行方なども気にかけつつ、年内の日本行きオプションはやはりないかな、というところに今、立っている。
※長年続けてきたブログ「ときどき日記」の使い勝手がよくないので、思い切ってこちらに引っ越しました。これからはこちらの方でどうぞよろしくお願いします。
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