松樹200年の翠
境内に樹齢200年を数えるだろうと言われる松がある。
200年前といえば1820年代、年表を見るとシーボルト来日、勝海舟や西郷どんが生まれたとか江戸幕府の後期にあたる…
本堂の入口の左側に、右側に立つもみじと並んでお寺のシンボルのようになっている。
「松樹千年翠」というように(そういえばこの禅語もこちらで教わった)変わらない(ように見える)常緑の松と季節で移りかわるもみじ。
紅葉の季節に見上げると松の深緑の葉と赤茶の木肌にもみじの葉が重なって美しい。
本堂でお参りし、鐘の音に中を覗くと何かの法要なのか正装したご住職が1人読経していた。
お参りの後、久しぶりに挨拶できたお寺の奥さまに伺ったところ、この松と山門脇の松に病気が見つかり来春には伐採しないとならないとのこと。
すでに松脂も出ていないそうで、言われてみると確かに以前より葉や木肌の色が薄く乾いて感じる。
「こんな年にこの松までこんなことに…」と呟いたので「この木がみんなの分の代わりに…かも」と口をついて言ってしまった。
それほど大きくはないかもしれないが様々な行事に多くの人がやってくるお寺(思えばここ数年、月に1度は来ていた)。
今年は春先からのCovid-19で感染防止、特にお年寄りなどのことを考えてほとんどの行事を中止せざるを得ず、法要なども様々な苦労があったことと思う(これからもしばらくは…)。
それでも近況を伺ったお寺の皆様、数人の知人(外国に転勤した方は後から行くはずだった奥様が渡航制限でしばらく行けずにいたが今はお二人でかの地にいらっしゃる)は皆お達者でいるようでうれしい。
そして何よりこちらには新しいいのちが生まれた。
本当に珠のようで(もちろん会っていず画像で拝した)、健やかな成長を願うとともに勝手にガードマン的感覚を抱いている(^^;)
今はまだ先が見えないが、この世で1つだけ正しいのが“無常”ならばこの状況もきっといずれ変わってくるはず。
すべて元どおりとはいかないかもしれないが、終息しまたここでの行事に来られる日を願っている。
奥さまが「また植えようと思ってる。ここまで大きくなった頃には私達みんないないけど」と言って小さく微笑んだ。
帰り際、早咲きの白梅が少しほころんでいた。
#終息祈願
#無常
#希望
以下は春に見納めと思って撮ったもの。