"僕"への抵抗

小さい頃から一人称僕呼びを母親に義務付けられていたことを思い出した。理由は分からない。
"俺"なんて言おうもんなら母親は嘆き、不良が使う言葉だと僕に言い聞かせた。反抗する気になんて1ミリもならなかった。

小学生も高学年になると周りの友達は皆、"俺"と自らを呼んでいた。学校ではもちろん家でも"僕"ではなく"俺"。
僕は友達に対して、なんて不良なやつらなんだろうと思いながらも、無性に"僕"でいることがなんか恥ずかしくなって、友達の前では僕も"俺"になった。
その頃になると僕には弟が2人いた。小学1年生と2才の弟達。カッコ悪いところは長男として見せられない。家でも弟には"俺"を解禁した。
ただし、母の前では"僕"。

母は強い人だ。僕には親父が人生で2人いたが、どの瞬間でも母は父親がわりでもあった。
だから優しい面と怖い面どちらも持っていた。
余談だが、母と一緒に出かける時いつも他人と喧嘩するので、よく他人のふりをしていた。

そんな母の前ではじめて"俺"と言ったのは中1の頃、
中学で出会ったちょっと悪い友達とつるみはじめたくらい。
門限が夕方7時だったが夜の11時くらいに帰ったりする日を過ごした。あいにく母は朝はやくから夜遅くまで仕事をして家計においても大黒柱だったので、夜遊びをしていたことはばれなかった。同居していたばあちゃんは僕を心配してくれていたけど。
だがそんなある日、いつものように夜更かしして家に帰ると母親がリビングで座って僕の帰りを待っていた。
当然のように咎められた。だが僕は自らを"俺"と呼び、自分の正当性を大声で固辞した。

母はかなしそうな顔していた。
そして"俺"に対して不良とも言わず、ただかなしそうだった。

高校生2年生の頃、母は心の病気になった。
僕が"俺"になったからではない。なんなら僕は中1の終わり頃にスラムダンクの影響でバスケ部に入って早めに更生していた。
母が患ったのは女手一つで僕たち3兄弟とばあちゃんを養っていたので、心がどうしても苦しくなってしまったのだろう。
親元を離れ一人暮らしをしている今ならよく分かる。それがどれだけ大変なことか、休みや自由は碌になく稼いだ金は自らには使えず、
というか、世の中親になった皆さん本当にすごい。立派です。

僕自身その頃、大体2年間くらいだったかな。人に寄り添う力が身についた。
頑張ろうとか頑張って等のワードはどんなタイミングでも発してはいけない。絶対治るよとか治そうとかもいらない。
ただただここにいるよ、一緒にいるよ、と言ってあげてあげることだ。肯定も否定も一切しない。一緒にいて安心させてあげることが大切だと言える。
なんならこれがこの文章の中で1番有益な情報かもしれない。

そんな寄り添いの中で僕にも変化があった。
一人称がなぜか変化していった。
"俺"でもなく、"僕"でもないものになった。

"わし"爆誕

そんなこんなで家族は今のところ皆元気だ。
相変わらず母親は忙しそう。弟たちは各々頑張ってるみたい。ばあちゃんは優しい。
一人称も今だに定まらない。仕事では"私"や"自分"、私生活では"俺"や"わし"がよく顔を出す。

めっきり出番の減った"僕"だが、この記事で散々使ったから許してくれ。


おわり


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