(メモ)諦めないことと執着すること
先日、執着について記事を書きましたが、記事を書きながらふと思ったことがあったのでメモ記事を書こうと思います。
私達は教育を受ける中で、「できるまで諦めないこと」を教わります。それは勉強や訓練においては美徳とされます。
努力家であればあるほど、途中で投げ出さずに、できるようになるまで、分かるようになるまで頑張ります。そしてその頑張りは周囲から応援され、達成した時には称賛されます。
だからこそ、そのような経験を積んできた人ほど、やりたいことやなりたい自分というものに対して投げ出さずに頑張ることに意義を見出し、やり遂げるまで諦めない心を育んでいきます。
しかし、一方で欲求の対象が人間の場合にこのパターンを持ち込むとどうなるでしょう?
「意中の異性から好かれるように頑張る」というのは、文章にするとなんだか甘酸っぱい、素敵な感情のように思えます。
しかし、相手にその気持ちがない場合はどうでしょう?頑張った結果、それでも相手が振り向いてくれなかった場合、通常なら諦めが肝心です。
ところがそのような場面で、勉強や訓練での成功体験を元に、それと同じスタンスで臨むと・・・?
相手が振り向くまで諦めずにアタックし続けることになります。あの手この手で振り向かせようとするでしょう。しかし相手は人間です。他に好きな人がいれば、おそらく断られるでしょう。それでも、相手の気持ちを勝ち取れる可能性がある場合はまだ見ていられます。しかしそうでない場合、その気持ちは執着になりはしないでしょうか?
コミュニケーションが苦手な頑張り屋さんに意外とこういうパターンがあるのではないかとふと思い、ひとまずメモとして記事にしました。
*いずれきちん推敲して一つの記事に再編集するかもしれません。