正義と優しさと
電車の席は、全て埋まっていた。立っている人もたくさんいる。今日は疲れているのについていない……
最近団地に引っ越した。団地にも高齢化の波は押し寄せていた。
時間の流れがゆったりしてて庭木が綺麗でそれが気にって引っ越しを決意した。もうあくせくと働くのにも疲れ始めた頃だった。すでに両親がいない私にとってご近所さんを勝手に両親と重ねては、出来なかった親孝行の時間を取り戻すように話をしたり重い荷物を運ぶのを手伝ったりした。
残業続きで疲れていたこともあって今日は少し早めに退社した。溜まった家事もしなくてはならない。身体の無理が最近めっきり効かなくなってきた。歳のせいかな……そう思いながら今日は電車で座れればと期待していたのだがその希望は、叶わなかった。仕方ないと思い周りを見渡す。この時間帯は、遅い時間と違って学生からお年寄りまでバリエーションに富んだ人々が乗車していた。ランドセルが重そうに肩にのしかかってる小学生や買い物帰りの主婦など見ているとそれぞれの生活を覗き見ているようで楽しくもある。
そうして見回していると車両の真ん中あたりに一人のお年寄りが立っているのが目に入った。そのすぐ前には、若者が堂々と座っている。あの若者は、いつから席を譲らずそこに座っているのだろうか。彼の良心は咎めないのだろうか。見るからに気が利かなそうな気弱そうなだ。学生というほど若くもない。こんな時間に電車に乗ってきっと定職にもついていないに違いない。気が弱そうで覇気のなさそうな感じ。きっと親の脛を齧ってるに違いない。彼に対するイライラがどんどん大きく膨れ上がってきた。
この次の駅から次の停車まではかなりの時間がかかる。次の駅を待って二人とも降りなかったら彼に注意しよう。
最近引っ越してお年寄りを身近に感じるようになったこともあってあの立っているお年寄りに親近感が湧く。そう思い始めると立っているのが可哀想になってきて若者への苛立ちは、最高潮に達してきた。
次の駅に電車が止まる…… 二人は降りない。
意を決して二人の近くまで行く。
「きっキミちょっと……君目の前にお年寄りがいるんだから席を譲ったらどうなんだ!」
緊張で声が思ったより大きくなってしまった。僕の声を聞いて車内の空気が一気に張り詰めた。周りの人が僕の方を見てそして座っている彼の方を見た。周りの視線が少しづつ僕の味方になっていくのを感じる。その空気に僕の緊張の糸が解け一気にホッとする。
「私はいいんですよ。好きで立ってるだけですから。」
すると立っていたお年寄りが消え入るような声で私にそういった。弱者が泣き寝入りするなんてそんなの正義じゃない。
「君、この方は、とっても疲れてるぞ。席を譲りなさい。」
お年寄りのか弱い声が僕に味方する周囲の空気を強く後押しした。車内は間違いなく満場一致で僕とそのお年寄りの正義の味方になった。その空気を察して彼は立ち上がった。
「すみません。どうぞ…」
空いた席にお年寄りが座る。
「では……
ありがとうございます」
そう言ってお年寄りが席に座ったのを見て車内がホッとした空気に包まれた。周りの人も僕と同じように思ってたんだと思うとまるでナポレオンにでもなったような気分だった。正義は必ず勝つのだ!車内の空気が勝利で満たされそして静かになっていく。ひとつの出来事を一緒に経験して車内の空気は、前より優しい空気に満たされたように見えた。突然両親の顔を思い浮かんで僕の心の中は、誇らしい気分でいっぱいになった。
次の次の駅で二人とも電車を降りて行った。お年寄りが少し私に会釈したように見えた。会釈を返しなが今日は、とてもいいことをしたと思った。
「おじいちゃんごめんね。」
彼は、駅を出て人並みがそれぞれの方向へ分かれていくのを確認してからそういった。
「いやこっちこそ。それより膝の具合は大丈夫か?」
「うん、病院で注射したばっかりだったし大丈夫だよ。それより記録今日で止まっちゃったね……」
「そうじゃな。一緒に病院通院を初めて3年。出来るだけシルバーシートを避けて周りに配慮したつもりだったんだが……まぁ彼にも悪気はないんだろう。だが彼はまるで正義を勝ち取ったような顔をしてたな」
孫を守れなかった自分に腹が立ちつい最後は恨み節になってしまった。反省しなければ……そう思い直したところで孫が空を見上げながら呟いた。
「車内の人がみんな前より幸せそうな顔に変わってよかったぁ。」
孫のその言葉に涙が溢れそうになった。孫は、病院を嫌がるわしのために転院までしてくれた。『どうせ一緒の病院なんだから一緒に行こうよ』その言葉に自暴自棄になってたわしは、助けられた。通院を初めて少しづつ体力がついてきて電車では体力づくりのため立つことにした。筋トレは続かないが孫と通うこの電車の間は頑張ることができた。今自分は、孫のおかげでこうやって生きていけている。
それなのに今日孫は、一人で悪役をかって出た。そして恨み節の一つでも出てくるかと思ったら最後にみんな幸せそうな顔になってよかったという。それどころか孫を守れなかったわしの恨み節すら優しく包んでくれた。正義とはなんなのだろうか。その答えは出そうもない。ただ一つ だけ確かな答えがある。
この子は、自慢の孫だ。