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当たり前なことは1つもない

人には「慣れ」というものがあり、同じことが繰り返されると、人は「慣れ」を感じるのだと思う。

一般的な1日の流れを書くと、
朝起きる、電気をつける、水で顔を洗う、朝ご飯を食べる、車や交通機関で職場に出勤する、仕事をする、昼ご飯を食べる、仕事をする、車や交通機関で家に帰る、夕食を食べる、お風呂に入る、電気を消す、就寝する・・・

あくまで一例を書いた。一見すべて当たり前のように見えるが、この中で当たり前なことがあるかと言われると、1つもないことが分かる。

まず明日朝起きれると保証されている人は1人もいない。

電気は電力会社の人たちのおかげでつくのであり、また水も水道局の人たちのおかげで使えるのであり、地震や台風などで停電や断水が起こった時に、電化製品が使えない、部屋の明かりがつかない、スマートフォンの充電がなくて使えない、お風呂に入れない、飲み水がないなどの大変状況になる。

車も交通機関も作ってくれる人たち、運転してくれる人たちがいるからこそ使うこと、利用することができるのであって、そのような人たちがいなければ人は徒歩で移動するしかない。

仕事も毎日が当たり前の繰り返しのように感じるが、会社がいつ倒産するかも分からなければ、いつものように会っている職場の人たちが明日も仕事場に来るかどうかも分からない。これは職場の人たちだけでなく、家族や友人なども同じである。

朝食、昼食、夕食も当たり前のように食べているが、現代社会で自給自足をしている人たちは割合としては少なく、大半の人たちは誰かが作ってくれたものをお金を払って購入しそれを食べているのであって、その人たちがいなければ、お金はあっても食べ物を食べることもできない。

このように、当たり前のように感じることも、実は当たり前ではなく、むしろ当たり前なことなど何一つないのではないかと思う。

しかし、人は意識しないと「当たり前」だと思ったり、「慣れ」を感じることが誰しもある。これらが出てくると次第になくなっているものがあるように感じる。それは「感謝の気持ち」である。

食べ物、水、電気、水、物、仕事、家族、友達などに対して、この「感謝の気持ち」をしっかりと忘れずにいるか、それともそれが薄れてくるかどうかが、人の幸福度に関係しているのではないかと思う。

感謝の気持ちを持ち続けることが自分の幸福度に繋がるとともに、自分の周りにいる人や普段の生活で使っている物を大切にできるかどうかに繋がると思う。何歳になっても感謝の気持ちを持ち続けることができる人でありたい。






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