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「水路閣のキリン」後編

横を見ると、平安時代のお貴族様みたいな格好をしたおじさんが立っている。

「・・・え?」

「そなたどうして平安神宮に行かんのじゃ」

「え、あ、ごめんなさい?」

 平安神宮で働いている方なのだろうか。どうして私が怒られているのだろうと首を捻っていると、「私が誰だか分かっておるのか」と詰められる。
 え、どうしよう、有名な方なのだろうか。

「私は桓武天皇であるぞ」

 桓武天皇だと名乗る男性は、袖から扇を取り出して口元を隠し胸を張るが、知識不足の私には全くピンとこずに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 ははぁ、となんとも言えない顔をしている私を見て、桓武天皇は驚いた顔をする。

「まさかこの私を知らぬのか!この素晴らしい京の都を造ったのは私であるぞ!」

「あ!もしかして!京都に都を移した方!」

「そう!そうである!」

 すごい決断をした方がいたんだなぁと感心していたが、まさかお会いできるとは思わなかった。

「それで?お主は平安神宮には詣らず、これからどこへ行こうとしておるのだ」

「な、南禅寺へ・・・」

「ほぅ、南禅寺とな、あそこも素晴らしいところじゃ。どれ、私も一緒に参ろうかの」

 ほれ、そんな場所でいつまで突っ立ってる気じゃ、はよ付いて参れ、と桓武天皇はススススッと静かにトンネルの中へ歩き出した。
 私も急いで桓武天皇の後を追う。
 トンネルを抜けると寺院が両脇に並ぶ、風情ある小道が続いていた。もう冬なのに、橙色のもみじの葉がまだ木を彩っている。
 先程からずっと水の流れる音が響いていると思っていたが、豊かに溢れる水が、道の両脇にある側溝を龍のように流れていた。
 なんだか心が落ち着く小道だった。

「水の流れる音は心地よいの」

 桓武天皇は上機嫌だ。
 私もなんだか楽しくなってきて足どりが軽くなる。
 しばらく小道を進み、突き当たりにあった小さな門をくぐると、あっという間に南禅寺の境内に入っていた。

「ほれ。見てみよ」 

 桓武天皇が扇で先を促した。
 その先に目を向けると、大きな大きな門が視界に入る。

「あれが南禅寺の三門であるぞ。いつ見ても立派であるのぉ」

 私は思わず三門の方に駆け寄って、感嘆の声を上げる。
 この圧倒的な存在感、力強さ。
 こんなにどっしりとしているのに、何故だか静かで繊細な美しさも感じる。

「どうだ。何を感じる?」

 気がつくと、桓武天皇も私の隣で三門を仰ぎ見ていた。

「なんだか、すごいなって。・・・あまりにも壮麗で人間の為に作られたものではないような。人間には似合わないような」

 たくさんの観光客が三門の前や中で写真を撮り、私と同じように感嘆の声を上げながら見上げていた。
 このあまりにも壮大な存在感を放つ三門の前にいると、観光客も自分も蟻のように小さな存在に思えてくる。この三門は人間には似合わない。

「お主、なかなか面白い感想を言うではないか。しかし、紛れもなくこれは人間が人間の為に、もっと深く言えば人の祈りの為に造ったものではあるがな」

「人間ってすごいですね」

 うんうんと頷きながら、桓武天皇はおもむろに、閉じた扇をポンっと手の甲に当てた。
 すると一瞬のうちに大勢いた観光客が煙のように消えてしまった。

「え?」

「なぁに、案ずるな。お主が人間には似合わないなどと面白いことを申すから、ちと静かな三門を眺めたくなって人払いをしただけだ」

 愕然とする私に、いたずら小僧のような顔をして桓武天皇は尋ねる。

「人間に似合わないのであれば、何であったらこの素晴らしい建造物は似合うと思う?」

「え、あ、」

 お気に召さない答えを出したら私も消されるのではないかと戦慄が走る。

「ん?」

「・・・キ、キリン?とかですかね?」

 一瞬の沈黙があり、次の瞬間、ハッハッハッハッ!と、桓武天皇は扇で顔を隠し高笑いを始めた。
 お気に召されたようで本当によかった。

「そうかそうか、神や仏などではなく、まさかキリンとはな!」

 ヒィー!と言って笑い終えると桓武天皇はまた、付いて参れ!と言って人の消えた境内を歩き出した。

「お主にもっと良いものを見せてやろう!」

「ありがとうございます?」

 なぜか気に入られたらしい私は、大人しく後をついて行った。
 桓武天皇に連れて行かれた境内の奥に、煉瓦造りの水路橋が現れた。美しいアーチを描くそれは、境内の奥に在ることも合わさって、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。

「ここが水路閣?」

「あぁ、そうだ」

 桓武天皇はアーチをくぐり、奥にある階段を登って行く。もう少し水路橋を眺めていたい気持ちを抑え、私も階段を登る。
 階段を登ると水路橋の上についた。そこには豊かな水が流れている。
 時刻はもう夕暮れ、水路橋の上から眺める風景は橙色に染まっていた。

「きれい・・・」

ここから大きな三門が見える。
今日は大きな鳥居も見たし、大きなキリンも見た。
 ちっぽけな私を圧倒し魅了する大きなものが、そこに在る。
 いつもいつも漠然とした不安を抱え、何事も自分一人ではちゃんと決められず、自信も勇気もない私が、圧倒的に大きなものを眺める時、胸に湧き上がってくるのは、感動と憧れと焦燥であった。

「・・・羨ましい」

 そう口から溢れた時、黒く大きな影が三門に向かってくるのが見えた。
 桓武天皇が横で嬉しそうに笑い声を上げる。

「ほれ見てみろ!」

 優雅にどっしりと、長い首を揺らしながら一歩一歩近づいてくる影。
 まさかあれは・・・。

「キリンであるぞ!」

 ハッハッハッハッ!と笑いながら桓武天皇は手に持った扇を大きく一振り、空に向かい煽った。
 ブワッ!と風が起こり水路橋を流れる水がざぶざぶと唸る。木々の葉が舞う。
 私は風に暴れる髪を押さえて息を呑んだ。
 大きな大きなキリンが一頭、優雅に静かに、首を曲げて三門をくぐって行く。
 そしてそのまま、私たちのいる水路橋へとゆっくり近づいてきた。
 夕日に照らされた景色の中、それは今まで見たことがない程、幻想的で美しい風景だった。
 ふと、リュウト君のことを思い出した。
 この美しい風景をリュウト君と眺めたい。どうして今まで彼のことを忘れていたのだろう。
 気がつくと、目の前にキリンの顔があった。
 夕日を背負った美しいキリンであった。

「お主が呼んだのだぞ」

 桓武天皇の言葉は力強い。

「お前のキリンじゃ」

 私はゆっくりと両腕を広げる。
 そっと私の胸に顔を近づけたキリンの頭を、私は優しく抱きしめた。
 大きな大きなキリンを抱きしめた。


 パシャリと、カメラのシャッター音が後ろから聞こえて振り向くと、リュウト君が水路橋の上から見える景色を撮っていた。

「サワコちゃん、ごめんね。遅くなっちゃった」

 これ、やっぱりカフェに忘れてたみたいだね、と言われて私のスマホを渡してくれる。

「リュウト君、ありがとう」

「いいえー。ずいぶんぼんやりと景色眺めてたみたいだけど、何か面白いものでも見つけた?」

「ううん、ただ綺麗な景色だなぁと思って」

 そっか、それはよかったと言って、リュウト君は私の手を握った。
 その後は水路閣と繋がる水路沿いを散歩した。
 上機嫌な私は、繋いだ手をブンブン振って歩く。

「サワコちゃんは可愛いね」

「ありがとう!」

 ここを流れる水は力強い。それが私を元気にさせた。
 水路沿いを歩いて行くと、小さな広場のような場所に出て、またその奥に、線路跡なのだろう、真っ直ぐ続くレールの道があった。

「ここは蹴上インクラインって言ってね、昔は舟を運んでいたんだって」

リュウト君の説明を半分上の空で聞いてしまうほど、とても素敵な道だった。
まっすぐ伸びるレールを見ていると、どこまでも走っていけるような感覚になる。

「両脇に生えているのは桜の木でね、春になるとすごく綺麗なんだよ。だから来年も一緒に・・え!サワコちゃん!」

 私は思わず走り出す。

「サワコちゃん!危ないよ!」

 リュウト君が心配しながら追いかけてくる気配がする。彼は足が速いから、私はきっとすぐに捕まってしまうだろう。
 ちっぽけで、鈍臭くて、優柔不断で、自信も夢も希望もない私。

「リュウトくーん!」 

 それでも私は、大きく大きく声を上げる。

「大好きだよー!」

 ハッハッハッハッ!とどこからか笑い声が聞こえた気がした。

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